「川西勝久のひとりごと」のバックナンバーです |
2008作成
偽の豊かさを求めすぎた日本 (08,01,15)
平成20年(戊子の年)も松の内も過ぎて、お正月気分からようやく通常の生活にもどってきました。今年も気合を入れて、この厳しくて多難な時代を乗り切らなくてはなりません。本年も何卒宜しくご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
それにしましても、近年の経済不況は何時まで続くのでしょうか?経済の冷えに加えて殺伐とした世の中は、人の心までも塞ぎ凍らせてしまい、明るさや温もりのある人々の暮らしはあまり感じられませんね。過日、テレビで放送されていましたが、世界遺産を旅し、その土地土地の暮らしや、文化を紹介していました。それを観て、質素な暮らしであるのですが、その民族の伝統や文化に誇りを持ち、自然を大切に思う畏敬の念とともに、豊かに暮している人々が写っていました。その誇らしげな表情から、大きくて豊かな心持ちを感じました。反面、現在の日本人の表情を見たとき、随分と顔立ち、ふくよかさなど、無表情で明るさや温かみ豊かさなどが感じられないと思ったのです。活き活きとした、そして明るくて豊かな笑顔の戻った日本は何時になれば来るのでしょうか。権力やお金儲けに奔走し、豊かな暮らしを求めるあまり、人、本来の姿である、真の心の豊かさを忘れてしまった日本。日本のよき伝統や誇りをもう一度顕彰し、後生に伝えなくてはなりませんね。本年もどうぞよろしく。
新大阪府知事に橋下徹氏が当選 (08,01.28)
現職の大田房江知事が、政治と金の問題で出馬を断念した事をうけて行われた、大阪府知事選挙は、投票が27日に行われ、新人の橋下徹氏が初当選した。今回は、新人候補同士の戦いとなり、各候補者を推薦支持する政党の戦いとなりましが、しかしなぜか盛り上がりのない、比較的静かな選挙戦であったように思われます。投票率は前回よりも大きく上回ったと報じられているが、それでも有権者の半分以下の48,95%でしかない事をみても、盛り上がりに欠けた選挙だったといえる。橋下氏の当選については、若さも有り、新感覚、新視点からなる、府再生への期待をしている。弱冠38歳にして大阪府のために立ち上がった勇気と情熱に大きな期待を寄せるものです。しかし今回の選挙もそうですが、各首長選挙は政治家ではなく、芸能タレントや大学教授、作家など有名人と言われる人が立候補したりさせられたりする。なぜ政治家が立候補しないのか不思議である。大阪には、110人以上府会議員がおり、大阪府の現状を知り尽くしているはず。大阪府下選出衆参国会議員は30人近く居られると思う。皆さん何期も当選していて、政治のプロと自負されているはず。なのに首長選挙には立候補しようとしない。その情熱すら持ち合わせていない。政治家を標榜する政治屋さんばかりなのだろう。大阪府の財政も危機的状態である。経済も教育も生活もすべて三流となってしまった大阪。38歳の若き知事がその火中の栗を拾おうとしている。府会議員、大阪府職員一丸となり、大阪の再生に今一度命がけで臨んでほしいと願うものである。橋下新知事の大いなるご活躍を祈念し、大阪の再生、笑える明るい強い大阪の建設に期待するものである。
写真 産経新聞より
立春を感じて (08.02.04)
今日は立春、暦の上では春となるわけです。どことなく春の気配も感じられるような気がします。毎日、事務所の窓から眺めている、飯盛山頂の楠木正行公の銅像が、木の芽が脹らむにつれて、かすんで見えるようになってきました。山全体も少しふっくらとしてきているように感じます。春は張るからの語源であると聞いた事がありますが、本当にそうだと実感します。日本には春夏秋冬があるお陰で、四季折々の自然の風情や行事、慣習などから、生きている事の楽しさ、豊かさを感じ、生きがいとなっていると思うのです。昨晩も節分で、これも季節行事の一つですね。節分とは、季節の分かれ目となる日のことで、本来、立春・立夏・立秋・立冬の前日はみな節分なのですが、現在、行事として残っているのは立春前日だけです。私の子供頃の節分の日には、焼きいわしと小豆ご飯をたべてお祝いをしました。家々の門や勝手口には、、鬼の顔を和紙に書いたものと、いわしの頭をひいらぎの枝につけて飾り、鬼除けをしました。豆まきの後、各家に飾ってある鬼の顔を書いた短冊を盗りに廻るのです。早く行かないと、先に盗られてしまうから必死でした。それは、誰よりも沢山盗る事と、すごく怖い鬼の顔が特に貴重だったからです。鬼の顔は家々によって特徴があり、その家の伝統的な個性が繋がっています。それは本当によく書けていて感心しますが、その鬼の短冊を翌日学校へ持って行って自慢大会をするのです。これらは小学校当時の楽しい思い出でありますが、最近の子供たちには立春だの節分だのって、あんまり関心がないのではないかと思います。毒入?りギョーザのニュースで世間を震撼させていますが、日本はまさしく飽食の時代、豊かになりました。食材は世界各国から輸入され、温室栽培や遺伝子組み替え食品。冷凍食品等等、食べ物は春夏秋冬関係なく食卓に上がっています。食事からも季節を感じる事が出来なくなって来た現代、残念に思います。毎日飯盛山を眺めて、季節を感じる事の幸せに感謝しています。
写真・・・・・雪化粧した飯盛山【立春前日(2月3日)撮影】
建国記念日の意義(08.02.11)
今日は建国記念日。今からおよそ2660年前、日本は国としての形やまとまりも無い時代であり、各地で小さな集落を形成し、生活をしていたと思われます。我が四條畷で発掘された遺跡、讃良川川床遺跡では二上山(大阪府太子町と奈良県香芝市にまたがる山)が噴火したときに出来たサヌカイトという石で作った石器がたくさん見つかっていますが、この石器を使った人が、四條畷に最初に住んだ人々であろうとされていて、今からおよそ2万年も前の時代です。このように何万年前から、現在の日本の中ではおそらく各地各所に、国家というものを存在しないまま個々に人々が生活していたと思われます。これらを統一して立派な国家として作り上げようとされたのが神武天皇であります。そして多くの困難を乗り越えられて、紀元前660年2月11日に橿原の宮においてご即位されたのです。この日が日本国家の紀元であることから、戦前までは紀元節といって各地神社では祭事が行われていました。又、神武天皇のご即位の年を日本の紀元元年として数えるのを皇紀といい、今年は皇紀2668年となります。しかし現在、この建国記念日に反対する多くの論調があります。建国記念日は、天皇を神格化するものだとか、主権在民を定める憲法の原則に反するとか、非科学的な歴史観だとか、神武天皇は実在しないとか、等々であります。また、紀元節などの復活は、日の丸や君が代を教育現場に押し付けるものであるとまで言う団体もあるほどであります。本当に困ったものであります。時代のづれや、一時代の天皇のお年が符合しない点はあるにせよ、現代まで125代、一系の天皇を頂いていることは事実であります。私達は、このような素晴らしい風土、伝統をもち、穏かで勤勉な国民資質を持つ日本に誇りを持ち、この国を愛すべきであります。第2次大戦後、日本の良き伝統は打ち消され、日本の歴史そのものを否定してしまった現在にあって、今一度建国の意義を彰かにして、遠い昔、国家建国がなされたことに、深い敬意と喜びを持って感謝すべきであります。
写真・・・・・橿原神宮(2007,11,11撮影)
耕心塾開講八周年記念講座(08.02.18)
2月15日(金)に耕心塾を開催しました。平成12年2月に開講した、地域の寺子屋「耕心塾」も、開講8周年となり、論語普及会学監・伊與田覺先生をお迎えしての特別記念講演会が盛大に開くことが出来ました。耕心塾は8月を除く毎月第3金曜日に開講していますが、毎年2月の周年記念特別講演は伊與田先生にご来駕賜っています。今回は「日本人と論語」と題され、日本人の資質や特性の根源に大きな影響を与えている論語の精神について話されました。現在の日本は、昭和20年の終戦以来、敗戦国としての占領政策にて、日本の良き伝統や歴史を全て否定されてしまいました。勿論、日本神話や古事記、日本書紀なども、史実ではないとまで言い切る今日にあって、論語が伝わったこと、それをいち早く国づくりに活用された事などを詳しく述べられました。論語が日本に入ってきたのは、応神天皇の御代(第15代・270~310年)16年で、支那の文字を学んだ百済人である、王仁(わに)博士が、論語十巻と千字文一巻を持ってやってきました。天皇の皇子であられます菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が王仁博士に付いて学ばれたそうで有ります。当時にあって、外国の言葉、文字を受け入れる要素、素養があり、その異文化を受け入れる能力があったことに、敬服致すと同時に驚くばかりであります。論語の精神でも有ります、コや仁の心、謙譲の精神などを学ばれた皇子は、それらの事を実行をされるのでありました。以来、千八百年が過ぎた今日まで、この論語の精神は、日本人の精神の主柱をなし、国民の特質になったのです。今、論語が静かながら熱いブームになっています。悦ばしい事であります。しかし、本当は、国を動かす政治家、国民を教育する、教育者などの人たちにもっと積極的に論語を学んでほしいと熱望するもので有ります。
写真・・・・・講義をされる伊與田先生
伊與田覺先生のご紹介
大正5年高知県)でご誕生、本年93歳。学生時代から安岡正篤先生に師事。昭和15年、青少年の学熟有源舎発足、21年太平思想研究所設立。28年大学生の精神道場有源学院創立。32年関西師友協会設立に関与、理事、事務局長に就任。その教学道場として、成人教学研修所を44年設立。常務理事・所長に就任。62年論語普及会を設立、学監として論語精神の昂揚に尽力される。著書に「人に長たる者の人間学」「大学を素読する」「論語一日一言」など多数。(ご履歴・論語一日一言・致知出版社参考)
お米マイスターの役割 (08.07,10)
第9回お米マイスター全国地域ネットワーク会議&生産者交流会が、AP大阪で7月6日に開催され出席しました。全国から130名もの参加者があり、お米マイスターの積極的かつ米に対する研究心や情熱には感心します。お米マイスターは、3ッ星と5ッ星があり、上級お米マイスターは5ッ星で、私も5ッ星お米マイスターの資格を有しています。お米マイスターのMEISTERとは、ドイツ語で巨匠・師匠の意味で、職人の国ドイツは、優れた技術者を養成するためマイスター制度を設けて、厳格な運営をしてきました。私たちのお米マイスター制度は、日本米穀小売商業組合連合会が主宰する、お米に関する専門家であり、お米の博士号ともいえる資格であります。当日は、「美味しいご飯の炊き方・リンナイ株式会社尾上氏」の講演で始まり、食文化史研究家である、永山久夫氏の「日本人は何をたべてきたか?」など、しっかり講習詰めの一日でありました。日本の米文化や食文化が果たして来たものは、現在世界一の長寿国となったことでも分かると思いますが、米を中心とした日本食は、世界に類のない健康的食事であったといえます。中国大陸から日本に稲が入ってきたのは、およそ6000年前であり、現在のように田んぼで栽培される(水稲)ようになったのは、2500前と言われます。以来、日本人は米を中心とする、日本固有の食を作ってきたのです。山の幸海の幸、清らかな水から生まれた和食そのものは、豊かな自然と恵みからもたらされたもので、日本人の最も体質に合った食文化が形成されてきたものと思われます。今一度、米を中心にした、和食の普及とその効用を再認識しなくてはなりません。今後も、米を通じて、お米マイスターの役割を果たしていかなくてはなりません。
写真・・・・・熱気あふれるネットワーク会場
漢字の人生 (08.07.21)
今月の耕心塾(7月18日)の講師に、故白川静先生の最後の直弟子と言われる、山本史也先生に来て頂きました。山本先生は、府下公立高校の教諭をされていますが、白川文字学を広く流布するため、出筆やテレビ出演、講演活動など超多忙な先生です。耕心塾には毎年7月と12月に来て頂き、個々の漢字が秘めているメッセージや意味などを、楽しく、また鋭く説いて頂いています。今回は、「漢字の人生を考える」と題して講演していただきました。漢字の人生とは?それは生の字から始まり、命、身、産、乳、棄、流、保、字、名、文、児、人、年、春、秋、学、教、習、言、語、東、南、為、思、悪、愛、憂、男、婦、幸、法、慶、哀、懐、遠、死、真、鬼、新の40の漢字が表わす意味から、人の生涯を見ることのできる有意義な講演でありました。母親の胎内に生命が誕生し、やがて産れ乳を与えられ、時代の風習慣習に合わせて育てられる。やがて名前も付き、教育や学習によって、より確かな責任や使命も認識し、人としての理想の生涯を築いて行く。数々の体験や経験を重ね、家庭を持ち、世に働き役立ち、人としての一生を終えて往くのでありましょう。それが死であり真という字に表される。最後に新の字が、死は新たな始発を意味する字であることを意味する。山本先生曰く、清新な木、聖なる木を手斧で切り、霊位(位牌)を作り死者を祭る。死は終結であるが、また再生、新生の機であり、「新」をその死者を祭る方法を示す字とする。おそらく死を、新たな生の始発点とするのであろう。と、述べられました。日頃、何気なく使う字そのものに、人間社会に示している意味は絶大なものがあることを知る、大いに意義あるお話でありました。
写真・・・・・耕心塾で講義をされる、山本史也先生
日本の食糧危機 (08,09,15)
三笠フーズの汚染米不正転売が連日大きく報道されている。最悪な事態である。
近年まで、日本の食糧で、安心・安全なものといえば、米でありました。日本の米作りは、豊かな水と気候をはじめとする素晴らしい自然環境から成り立ち、国内であればどこの産地であろうが、美味しくて安全な米が生産できました。最近まで、ご飯(米飯)を頂くのに、一切の不安を抱いて食べたことはないと思うのです。それほどに安全な食べ物であったはずです。(今でも日本国内産であれば安全です。)それがどうですか、基準値を超える農薬(メタミドボス)に汚染された、外国産輸入米を何知らぬ顔で売っていたとは、言語道断であります。
この輸入米は、非常に危険な有害農薬に汚染した事故米ということであります。私も、米穀業者ですが、初めて事故米の存在を知り、事故米という単語を知りました。なぜ農水省は、そのような危険な米を輸入し、一般の加工業者に払い下げしていたのか、その無神経さには驚きました。また、食用には使用しませんと言いながら、払い下げられた汚染米を、これまた無神経に、米穀業者に転売するとは、もう話になりません。
近年は、「食」のトラブルが続きました。不二家に始まり、赤福餅、ウナギ、豚肉、鶏肉等、産地偽証や生産日や消費期限等の偽証表示。吉兆ではお客の残したものを再利用。でも、これらの事件がかわいらしく思えるほど、今回の事故米転売は、日本の食そのものを揺るがす最悪な事件です。
このような事態を招いたのは、業者も責任がありますが、現在の国家の体質が大きく影響しています。今や、先進国で自給率80%以下の国はありません。どこの国も、国家の安全を考えるとき、一番大切なことは食糧自給率なのですが、日本は一切そんなことはお構いなしです。唯一自給率100%を保っていた、日本の米も、今回のようなことがあれば、さらにコメ離れを誘発するでしょう。米を食べなければ、自給率は20%を割ってしまうのです。米に対する不信感が増長すれば日本の食糧問題はさらに深刻さを増します。最悪です。
日本人が最も大切にし、安心して食べてきた米を今や、心無い悪徳業者や、ものの良し悪しが分からない官僚達によって潰されてしまうことが一番残念でなりません。
写真・・・・・四條畷市立くすのき小学校の稲刈り体験授業風景(平成19年秋撮影)
道徳教育の必要性(08,09,29)
またしても幼い命を奪ったのは母親でした。福岡で起きた小学一年生殺害事件は母親の犯行で、育児に悩んでの犯行と報道された。近年、親子間での殺人が急増していると思いませんか。特に幼い子供が、親によって命を落とすケースが多いように感じます。なぜこんな世の中になってしまったのか、原因はどこにあるのか、このことを真剣に考える時期が来ています。
現在の日本を見ると、全ておかしい。間違いだらけの状態なのに、かも正しいかのような、いや、まともだと自然に思ってしまっている。
国家国民の資質は低落し、悪しき風潮が横行してしまった。政治は国家の尊厳、国民の安全を一切論じないで、政権闘争に終始し、誹謗中傷、上げ足探しに奔走。いかに選挙で当選するかを考え、当選のためなら、すべての世論やマスコミに迎合する情けなさ。経済界も利益優先で、儲けるためには何でもする、だましてでも儲ける。教育界は、何のために子供を預かり教育するのか、文科省も現場の学校も、教師も理解できていない。総合すると完全に狂ってしまった日本ということになる。
要するに、政治家も、経営者も、教師も、親もみな人間であるのだが、現在の日本人は、本来の人間性や人間の特質的要素と言うものを忘れてしまった。若しくは知らないと言うことです。
人間の人間たる所以は、人を思いやる優しい心、親やお年寄りを敬い大切に思う孝という精神、年下のものを可愛がり慈しみ育む、慈愛の心などです。この心は、人間として最も大切な特質であり根本的要素で、これを道徳と言い、古来から日本人の美学として教え育み、躾けてきたのです。しかしこの道徳を戦後軽視し排除してきた教育に問題があり、一日も早く、真の道徳教育を復活しなくてはなりません。家庭、学校、地域、国がこのことを真剣に思い、取り組むことが、現在のような、幼い弱い子供たちが犠牲になることのない、明るく心豊かな国家へとつながると思うのです。
平成20年大晦日(08,12,31)
平成20年も今日をもって終わります。今年の日本を振り返ると、国家の根幹をなす政治・経済・教育をはじめ、国民気質・資質というものが全てにおいて堕落崩壊してしまいました。残念でなりません。国民の価値観や政治家の価値観などが本当に変わってしまいました。国家のことより自分のことしか考えられない、自己中心的、利己的観念が強すぎて、すべて自分中心のことしか考えられない情けない人が多すぎます。特に政治家はその傾向が強くなりました。総理大臣も次々と変わりました。変わるたびに、次の選挙で自分はどうすれば当選するか、そんなことばかりの政治がおこなわれています。このままでは日本の将来はお先真っ暗ですね。何とかしないと!
そんな中で、来年は還暦です。60通りの干支を経験して、わが人生2回目の己丑(つちのとうし)歳をむかえます。論語では耳順の年齢となります。人さまの教えや忠告などに素直に従えるか心配ですが、大いに学び、思いやりや奉仕の気持ちもさらに前進させたいと念願しています。
今年も大変お世話になりました。心から感謝申し上げ、皆様のご健勝ご多幸をお祈りして御礼といたします。良い新年をお迎えください。