「川西勝久のひとりごと」のバックナンバーです

2003.作成

● 2003年 ●



謹 賀 新 年(2003.1.1)


 昨年中はいろいろとありがとう御座いました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 今年は未年。羊は優しそうなイメージがあり、なんとなく温もりを感じます。日本でも古くから家畜としても飼われており大切にされていた動物ですね。どうか羊のようにホンワカとした温もりを感じれる一年にしたいものです。
 さて、景気は回復しないまま新年を迎えました。我が米業界も昨年以上に厳しい状況となる事は必至です。外食産業も過当競争が激烈になり経営は苦しい。又、街の飲食店も、今まで家族連れで食事に来ていた人が来なくなってきた。など、明るい見通しは極めて少なくなってきた。その上、一般家庭でも米の消費量は下降の一途である。これからの米屋経営は本当に大変になる。
 だが、視点を他方に転ずれば、各分野でも業績を上げているものも多くある。これら業績の上がっている企業に一致している点は、目先の利に走るのではなく、適正な利益の追求を確実に行っていることにある。そこには本物志向があり、それをより高める中で付加価値を求めていく。現在はコストを下げる為に、店長以外は全て学生アルバイトというラーメンチェ-ン店などが多いが、これらでは本当のラーメンに当たる事は難しい。やはり熟練したオヤジが汗をふきふき作るものは気概が違う。
 これらから、今年もさらにホンマ物志向を強めさらに追求して行きたいと思います。当店のオリジナル商品であります「恵米」「大和高原米」「ひょうたん米」などを、より確かなお米として、産地や生産者を選定しながら安全で美味しい米作りに邁進していきます。どうぞご期待ください。
 今年も皆様にとりまして幸多い年でありますようお祈り申し上げます。
 
写真・・・・・飯盛山頂からの御来光

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思いやり(2003.1.10)


 一年の計は元旦にありと言われるが、気がつけばもう今日は十日である。近年は正月の気分や情緒を味わう暇と言うか、ゆとりが無くなってしまった。世の中がこう慌しいと、本来大切で重要な事柄などを軽視したり適当にしてしまい、どうでも良い事に引きずり回され、終始してしまう。やはり正月三が日ぐらいはゆっくりと、いろいろなことに思いを巡らせて、一年の計画を描き、きっちとした目標を持ってスタートすべきでした。残念。
 そして、今年も依然として景気は良くないようです。米業界も以前にも増して厳しい状態である事には変わりありません。しかし、ただ売れない、暇だ、不景気だと歎いてばかりいても何の解決にもならないし良くなるはずも在りません。こんな時代であればこそ、心のゆとり豊かさが最も必要であります。心のゆとり、豊かさとは、思いやりの心だと思います。今年を乗り切るのは、思いやりの心で仕事をする他ありません。私は米屋でありますから、どんな米を食べてもらえば、より喜んでもらえるのかと思い。美味しいご飯が、家庭の温かさ、豊かさに通じ、明るい家庭づくりに貢献出来たらなぁーと、思います。一日一日明るく希望を持って前進あるのみです。
 7日に高校ラグビー決勝戦があり、大阪の啓光学園が2年連続4回目の優勝を果しましたが、対戦相手は昨年同様東福岡高校で、同一校の2年連続決勝戦は50年ぶりとのことでした。縁あって祝勝会に参加してきましたが、勝因は、勿論厳しい練習や自己鍛錬に打ち勝った事も当然ですが、何より増して、自身を信じ、同僚後輩を問わず、選手も選手でない子も互いを信じ、思いやりの心が強く結ばれた所以であると、記虎監督始め選手一同声を同じくして述べていました。
 慌しく殺伐とした今日にあっても、やはり大切な事は、相手を思いやる、ちょとした心の余裕、豊かさが最も大切であると深識出来たことが嬉しい。さあ、今年も精一杯頑張ります。

写真・・・・・高校ラグビー決勝戦、啓光対東福岡の熱い攻防

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お茶うがい、インフルエンザ予防に効果抜群(2003.1.20)

 インフルエンザ予防には、「お茶うがい」が効果的であることをご存知でしょうか。インフルエンザの流行シーズンに入り、厚生労働省は警報を出して注意を呼びかけている中ですが、皆さんは風邪ひいてませんか。この、インフルエンザ予防には「うがい」が効果的と言われますが、特に「お茶」でするうがいが最適であると言います。なぜお茶うがいが良いのかと言うと、お茶の渋み成分でもある「カテキン」が喉の粘膜をガードするからです。
 お茶のうがいにより、喉の粘膜にカテキンがとどまり、ウイルスの感染や増殖を防ぐと同時に、カテキンの作用によりウイルス同士を結びつけ、喉の粘膜にくつっきにくくする。そして、うがいでお茶を吐き出すことで、ウイルスを外へ追い出す効果があるからです。
 お茶とインフルエンザを研究されている、静岡県立大、薬学部の宮本大誠先生によると、「カテキンの抽出をよくするため、70度くらいのお湯でお茶を入れ、カテキンの多い1〜2杯目がベストです。それをうがいの出来る程度に冷ますだけ。」という事です。緑茶のほか、紅茶、ウーロン茶でも効果は変わらず、朝夕2回、コップに一杯程度でよいとの事です。
 「お茶うがい」に取り組んで15年になる、静岡県の榛原町立坂部小学校では、「お茶うがい」を始めて以来、学級閉鎖は一度も無いと言います。2001年、2022年もインフルエンザにかかった児童はおらず、欠席率は1%にも満たないとありました。まさにカテキン効果には驚きです。私も早速実践しています。皆様もぜひ今日から実行してみてください。

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「縁」の有り難さをもって耕心塾開講3周年(2003.2.3)


 耕心塾は今月の講座をもって開講3周年になります。平成12年2月に開講してより、毎月第三金曜日に月例講座を開催してきましたが、もう3年が経ったのかと驚いています。毎回、桜井先生、築山先生によります熱意あふれるご講話は参加者全員が魅了され、愉しく拝聴させて頂いています。
 不況が長引く現代にあって、厳しい経済環境の中、ややもすると自己を見失い、人本来の生きる目的、人生の目的をも誤ってしまいそうな、そんな大変な時代になってしまいました。生きるために忙しすぎると言いますか、日々仕事に追われ、家庭や妻や子ども、他人の事はおろか自分の事さえゆっくりと考え、省みる心の余裕すら無くなってしまいました。これでは何のために生まれて来たのか、なぜ自分はあるのかと空しさだけが感じられる時、そうだ、僅かな時間でもよいから自分を見つめ自分を取り戻せるような、そんな時間を作ろうと思い立ちました。それが耕心塾を始めるきっかけです。「学びをもって」人間本来有している特質を喚起し、自身を取り戻し、少しでも他人や周りのことに思いを巡らせる事の出来る、そんな意義ある時間を耕心塾で持つことが出来るようになりました。
 今回は、3周年記念として、(財)成人教学研修所学監、伊與田覺先生に、「孝について」と題してしてご講演賜わる事となっています。(詳しくは耕心塾のホームページをご覧下さい。)
 伊與田先生を初め多くの先生方に恵まれ、多くの友人とともに学ぶ事が出来ますことは、大きな喜びであり感謝の念で一杯です。写真は、昨年度、耕心塾皆出席者に皆勤賞として頂きました、桜井先生御揮毫の色紙で、「えにし」と書かれています。伊與田先生は縁には、血縁地縁道縁などがあり、耕心塾は皆道縁によって結ばれていると言われました。その縁を大切にするようにと説かれていましたが、この度桜井先生が書かれた「縁」も偶然ではなく「えにし」の大切さを教えられた不思議さを感じています。

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耕心塾開講3周年と成人教学研修所(2003.2.20)


 耕心塾の三周年記念講座が成人教学研修所にて開講されました。四條畷市内から10分位い車を走らせた山中にある研修所は、緑の文化園でもある自然豊かな別世界の中にある。今回初めて訪れた参加者達は「すごい!素晴らしい!」を連発して感動の面持ちであった。清楚な研修所に入り、講堂にて開講式が行われました。式典は神前にて厳かな中、執り行われ、学監 伊與田覺先生の開講のご挨拶を頂戴しました。「耕心塾が3周年を目出度く迎えられる事は、桜井先生、築山先生初め、塾生である皆さんが熱心に参加された結果であり、誠に喜ばしい事であり、おめでたい事である。」と、耕心塾に対してのご丁重なご祝辞を戴き、全身が熱くなるような感激を味わいました。その後、櫻井先生の「氷室」、伊與田先生の「孝について」の講義を拝聴したのですが、両先生の優しく、ソフトなお話し振りはとても分り易く、新たに知識を得、生きる喜びが沸いてくるようでした。それぞれの講義内容は異なれども、人が人として生きる、そのための知恵や正しい知識の持ち方活かし方。生活の中での自然や人は共に有り、共に生きる。と言う点で共通していたように感じました。この研修所付近は、大きな池があり、室池と呼ばれています。この室池は、仁徳天皇の時代には氷を作り貯蔵する室であったとされ、氷の室、ひむろ(氷室)と言われ、後に氷室池となり、現在では室池と呼ばれている。当時、早くもこの地で氷が生活に使用され、自然を利用した生活ぶりを知って驚きと感心を覚えた。このような古くからの歴史を持つ、自然環境豊かなこの地にある、成人教学研修所は、この3月末で閉鎖されます。耕心塾が、この研修所にて講座を開催する事は、最初で最後となり、感慨一入の感があります。寂しさと無念さと入り混じった複雑な気持ちにではありますが、最後に、ここで講座が開講できて良かった。伊與田先生ありがとう御座いました。と心の中で何回もお礼を申し上げていました。素晴らしい三周年になったことを改めて感謝しています。

 写真・・・・・研修所玄関前での記念撮影

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ひな祭り(2003.3.3)

 3月3日は桃の節句。女の子の健やかな成長と幸せを願ってひな祭りが行われる。ひな祭りの歴史は思ったよりも古く、平安時代にさかのぼる。当時、紙や草の葉で作った人形の身体をなでる事で、けがれを人形に託し川に流していました。「流し雛」でしょうか。また、紙で作った男女の人形で遊ぶ「ひいなあそび」が盛んに行われていました。これらが合わさって現在のひな祭りの原型となったと言われています。現在は、平安時代の貴族の正装をした、豪華な雛人形が飾られていますが、当初は紙で出来た、男びなと女びなだけの簡素な物で、江戸時代になってから綺麗な布で作られるようになったと聞いています。今は、ひな祭りには桃の花、ひなあられ、ひしもち、白酒などを供え、ちらしずしにハマグリのお吸い物などのご馳走を食べてお祝いします。
 私にも、ひな祭りの楽しい思い出があります。お内裏びなは陶器で、三人官女や五人囃子以外にも、焼き物で作られた人形が飾ってありました。寒い飛騨ですから3月3日かどうかは分りませんが、私が、6〜7歳のころだったでしょうか、ひな祭りの日には裏山に登り、ござをひいて、母と二人きりで、眼下に我が家を見ながら、巻き寿しなどのご馳走をのんびりと食べたことを思い出します。私は、6人兄弟の末っ子で、母を独占できたこの時ばかりは、本当に嬉しかった事を今も覚えています。母は、89歳で今も元気ですし、焼き物で出来たお雛様を、当時のまま今も飾っているそうです。

写真・・・・・現在のお雛様


  
        
写真・・・・・飛騨の実家にある焼き物の内裏雛。父が生まれた時(明治42年)に購入した物だそうです。

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 コは弧ならず、必ず鄰有り (2003.3.10)


 私は、毎朝、「増田周作のおはようコラム」という、日新出版のホームページを見てから仕事を始めます。毎朝拝見するようになって3年目になりますが、時事問題等を明快に分り易く批評批判し、又、歴史上の人物の紹介や論語など古典からも、人としてどうあらねばならないかなど示唆されています。その他、書籍の紹介や世界各地の街や自然なども美しい写真とともに毎日日替わりで紹介されています。日新出版は30年以上にわたってトラック専門月刊誌「nowTRUCK」を発行する出版会社で、その会社の社長が増田周作先生なのです。昨年、この「おはようコラム」アクセス数、5万1人目の幸運に当たったのが私で、増田先生から記念の御揮毫を頂戴できる光栄に浴したのですが、先週、立派な額とともに先生の書が送られてきました。「有鄰」と書かれていて、身の引き締まる思い出でしばし先生の書を眺めていました。「有鄰」とは、論語の中の一節で、「子曰わく、コは弧ならず、必ず鄰有り。」から引かれたもので、どんな些細な事でも、辛い厳しいことであっても、正しく、真心を持って行うことにより、必ずそれを知る人が現れたり、よき理解者や協力者が得られるものだと言う事です。だから人知れず陰徳を積むことは、人間として最も重要なことであると孔子は教えているのだと思います。論語を読み始めてまだ日の浅い私ですが、増田先生に頂いた「有鄰」の額を掲げて、日々精進し、学んだ事を一つでも実践して行きたいと思っています。日新出版ホームページはhttp://www.nissin-news.co.jpです。ぜひご覧下さい。

写真・・・・・増田周作先生に書いて頂いた「有鄰」の額

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 入園入学シーズンを控えて (2003.3.31)


 お彼岸も明けて漸く暖かくなり、桜の蕾も大きく膨らみ、チラホラ咲き始めました。春が感じられると、ついウキウキして、なぜか気分も良いものです。春といえば入学。幼稚園児や小学一年生が真新しい制服で入園入学式に臨み、父母も正装して参加しますが、何時見てもこの光景は、親子の微笑ましさや、温かさを感じます。しかし、将来に大きな希望を抱いて新入学をしてきた子供たちですが、いつのまにかその志しも薄れ、親子の会話も少なくなっていくと言います。これには、現在の家庭環境や教育等に関する日本社会に問題が有るのではないでしょうか。親にあっては、我が子にどのような人に成ってもらいたいのか。学校や教師は、子ども達をどのような人に育てたいのか。全くその芯となるものが見極められずにいるのではないでしょうか。唯いえることは、少しでも良い暮らしが出来る、してほしい、そんなことしか考えていない親が多い事。学校では、どのような人間になろうとも一向にかまわない。と、言われても仕方ない有様。教師にあっては、無事に毎日が過ぎれば良いと言うぐらいのものでしかないように感じられます。よく、「青少年の健全育成」に関するキャッチフレーズが掲げられているのを見かけますが、子どもを健全に育てると言う事は、それこそ、食事やお金を与えて唯大きくする事ではないと言うことを認識しなくてはなりません。入園入学シーズンを控えて、今一度教育について考えて見たいものです。現在、(財)成人教学研修所(四條畷市逢坂)に於て、平成15年度春季尋常研修会が開かれ、東京都、愛知県、三重県、和歌山県、奈良県、兵庫県、地元大阪府など各地から、26名もの子ども達(小学3年生〜中1)が参加して行われています。内容は、孝経の素読を中心に、躾教育、読書教育、飯盛山登山など有意義な研修です。写真は飯盛山頂にある、楠木正行公の銅像前での記念写真ですが、子ども達の溌剌とした、活き活きとした様子から、子どもの教育は、大人の真からの情熱しだいであることが窺えます。彼らを見て日本の将来にも大きな期待が持てる気がしました。

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 四條畷神社の存在 (2003.4.7)


 四條畷神社では、恒例の春季大祭(楠公さくらまつり)が5日から行われており、各奉納行事も合わせて開催されています。先週末に満開となった桜は、楠公桜まつりに相応しく、みごとに咲き誇っています。明治以降、国民の師表と仰がれた小楠公を祀る四條畷神社の存在は、我が町四條畷の発展にあって大きな影響をもたらしました。四條畷神社創建当初(明治23年4月)より参拝者は年間30万人を数えたと言われます。そのため参拝者を運ぶために鉄道が敷かれ、忠孝両全を成し得た小楠公を模範とした人づくりを目標に作られた、府下9番目の四條畷中学校(現畷高・明治36年6月4日開校)。大正期に入っては、中野郵便局が四条畷郵便局、南野分署が四條畷警察署と改名されました。四條畷神社のある本地、甲可村にある官公庁、駅、学校全てが「四條畷」を冠したときより、村名も四條畷村として改名されたと言います(昭和7年)。村名改称にまで影響を与えた四條畷神社の存在の大きさと尊さを感じるばかりです。そして、四條畷神社から真西約千m下った所に小楠公墓所もあり、小楠公縁の地としてその誇りと名誉をこれからも大切に受けついて行かなくては成りません。

写真・・・・小楠公墓所の桜

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 腰痛 (2003.4.28)

 早やいもので4月も残すところ3日となりました。一気に暑くなって来ましたね。大変長らくホームページの更新が出来なく申し訳ありません。14日にギックリ腰になり、1週間ほどまったく動く事が出来ませんでした。その後、徐々に動けるようにはなりましたが、椅子に長く座る事が出来ずパソコンに向かう事が出来ませんでした。このギックリ腰は、背骨の中の神経が身体を動かそうとするたびに当たり、腰から背中にかけて電気が走るような痛みでした。歯医者さんで歯の治療をする時に、歯の神経にドリルが触れたとき、ピリッと来る痛みを経験された方は多いと思います。そんな痛みの大きいのが腰全体に走り、立つ事も、寝返りをする事も出来ない痛みでありました。今は良くなって、車の運転も出来るようになりましたが、時々、ピリッとする事があり、慎重に動いています。体の何処が悪くても大変ですが、腰痛も、痛みの不安感から、行動が消極的になり、活動が停止してしまいます。肝腎要と言いますが、本当に腰は重要で大切な個所です。何とか治療をして改善しなくてはなりません。活き活きと活動できる事が最善である事は誰でも思うのですが、元気なときにこそ身体を大切にする生き方をしなくてはいけませんね。反省しなくては。
 もうゴールデンウイークに突入しました。家族旅行などの計画も多いことと思いますが、身体を休めて健康についてもゆっくりと癒されるような計画を是非したいものです。楽しいゴールデンウイークになりますようお祈りしています。

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 子供の日に思う (2003.5,5)


 私の事務所の裏側にある田圃から耕運機の音が聞こえてきます。今年も田づくりが始まりました。田圃を耕す耕運機の音はのどかですね。さて、皆さんのゴールデンウイークは如何でしたか。楽しい休日を過ごされた事でしょう。私は未だに腰が痛くて、遠くには出かける事が出来ず、お陰で本を読んだり新聞やテレビを見てゆっくりと過ごす事が出来ました。今日、5月5日は子供の日。新聞やテレビでは、子供の日にちなんでの特集が多くありました。NHKの「アジアの子供達・貧困と戦争、激動の世界で生きる」を観て、現在の日本の子供たちの豊かさや自由さを改めて知ることが出来ました。日本では22年連続で子供の数が減りつづけており、総人口に占める子供の割合も14,1%ということであり、65歳以上の割合が18,9%ということで、少子高齢化が一段と進んだと報じています。この様な時、アジアの貧困生活を余儀なくされている子供たちの生活や生き様を見ると、ほとんどの子供(12歳前後)が家族のために働いているのが現実です。生活のために売られ働かされている事もしばしばあるようです。勿論、学校に通える子供は稀のようです。毎日家に帰りたいと泣いている子供もいて貧困と教育を受ける事すら出来ない悲惨さを目の当たりにしました。しかし、将来の夢はと聞かれて、はにかみながら「働いて、家族やお母さんを楽にしてあげたい。」と答えるあどけない顔からは、将来に夢を持つ力強い美しさを感じました。現在、日本の子供たちが、家族や母親のために立派な人間になりたいと答える子はどれくらいあるでしょうか。何不自由なく育てられ、全てが当り前になった現在の生活形態から、物事に感謝したり、ありがたいと思わなくなってしまった日本人やその子供たちの将来に大きな不安を抱くものです。

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 無気力状態の原因は好調阪神タイガースにあり (2003.5.20)


 事務所の横にある田圃では、代(しろ)かきが済み、田植えを待つばかりになった。代かきとは、田圃に水を入れて、土の表面を平らにする作業です。これは、水の深さを一定にするとともに、水がもれないようにし、田植えがしやすい状態にするためですが、田圃に水が張られると、景観は一変して大きな池のように見えます。後10日もすれば苗が植えられて、今年も本格的に稲作りが始まります。いつもこの時期になると、どうか今年も無事に育ちますようにと、つい祈ってしまいます。やっぱり私は米屋ですね。
 さて、話は変わりますが、最近はなぜか集中力が無く、ただ漠然として日が過ぎてしまいます。新聞やテレビも落ち着いて見る時間も無く、毎日の出来事にも興味が持てない感がします。何故だか分りませんが、こんな事は皆さんにもある事でしょうか。(今年は阪神タイガースが強すぎるからかな〜。ムーアは7連勝。のり過ぎ。)とにかく、やらなければならない事が有り過ぎて、未熟な脳が消化不良を起こしているためだと思います。この「ひとりごと」も毎週更新したいのですが、つい日が過ぎてしまいます。誠に申し訳ありません。来週からは何とか気持ちを集中して「ひとりごと」を更新して行きたいと思います。(巨人もスカッと勝ってくれよ。)

写真・・・・・代かきが終わった事務所近くの田圃

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 新「論語普及会」の誕生 (2003.5.27)


 以前に少し触れましたが、財団法人成人教学研修所が本年3月末で解散し、財団が運営して来た「論語普及会」も同時に解散となりましたが、新たに「論語普及会」が新組織にて誕生し、5月24日に発会式が行われました。人間らしい品格、教養を備えた人間の完成を求め設立された論語普及会は、名の示す通り、論語精神の普及であります。日本古来より培われてきた、道徳心を初めとする、日本人固有の特質を築いた素養に論語が大きな影響を及ぼしたことは言うまでもありません。又、論語は、世界の古典の中でも長期にわたり多くの人に親しみ読まれ、道徳の規範とされて来たのです。現在の日本は、国家、地域の絆は本より、家族への絆さえも希薄なものとなり、個を中心とし他を省みない、間違った個人主義が広がり、経済も政治も各々本来示さなくてはならない責務の放棄、そして、国家の存続にあって一番重要な国民への教育が全くといってよいほど施されていないのが現状です。現在の日本にあって、日本人の精神的支柱であった論語を、より一層普及を図ることが重要であるとの認識に立ち、再度「論語普及会」の発足に至ったのです。今は小さな組織ですが、志は雄大にして確実な歩みをして行きたいと思うのです。どうぞ応援の程お願い申し上げます。入会をご希望される方はご連絡ください。
写真・・・・・挨拶をされる「論語普及会」学監伊與田覺先生

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 遊宴の街「島原」 (2003.6.9)


 6月7日〜8日にかけて京都小旅行の機会を得、初夏の京都を楽しむ事が出来ました。京都は、私の家から1時間もあれば行ける距離にありながら、用事で行く事はあっても、ゆっくりと観光目的で行くのは初めてで、本当に楽しい旅行になりました。その中でも、島原まで足を運び、幕末の頃には西郷隆盛や桂小五郎など多くの勤王の志士が利用した揚屋である「角屋(重要文化財)」の見学が出来た事が一番の収穫となった。島原は江戸期以来の公許の花街(歌舞音曲の遊宴の町)として発展してきた町ですが、官命により、島原の前進である六条三筋町から現在の朱雀野(しゅしゃかの)に移されました。その移転騒動が、九州で起きた島原の乱を思わせたことから「島原」と呼ばれてきたそうです。(正式地名は西新屋敷)島原は、単に遊宴のみならず、和歌俳諧等の文化活動も盛んに行われ活況を呈したといわれます。現在では揚屋(今の料亭)であった「角屋」と、置屋(太夫や芸妓を派遣する店)の「輪違屋」、それに島原入口の大門が往時を偲ばせる。国の重要文化財である「角屋」は次回にご紹介いたします。

写真・・・・・島原入口の大門

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 江戸時代の饗宴の場「角屋(すみや)」 (2003.6.16)


 島原には揚屋と置屋があり、揚屋とは、太夫や芸妓を置いていない家で、置屋から太夫や芸妓を呼んで遊宴を行ったところであります。今で言う料亭・料理屋にあたります。
 「角屋」は、島原開設当初から連綿と建物、家督を維持して、江戸期の饗宴もてなしの文化の場である揚屋建築の唯一の遺構として、昭和27年に国の重要文化財に指定されました。角屋の建物は、木造二階建、表全体を格子造りとし、大座敷には広い庭に茶席を配し、大きな台所を設けた典型的な揚屋建築の特徴が残されています。角屋では天明年間(1781〜1789)前後に、石田幽汀や丸山応挙など当時の一流画人などに襖絵の制作を依頼し、今尚多くの画蹟が残っております。煤で黒ずんだ中に歴史の重みを感じました。各座敷とも洗練され意匠をこらした作りは、お客を最高の気分でもてなそうとする精神の表れであり、現在の経営者が最も見習わなくてはならない点であります。幕末頃には、諸大名をはじめ西郷隆盛、桂小五郎、久坂玄瑞、坂本竜馬、山縣有朋、伊藤博文、大隈重信、僧、月照など多くの勤王の志士が角屋を利用したと言われています。当日は時間外の見学にもかかわらず、特別に二階座敷全てを案内していただき、丁寧な解説まで聞く事が出来ました。各室の粋を凝らした作りと美しさには感動するばかりでありました。ただ、酒を飲むだけではない、遊びの真髄、文化を感じ取る事の出来る一時でした。
写真・・・・・「角屋」中戸口
角屋・・・京都市下京区西新屋敷揚屋町32 電話 075-351-0024 

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 許せない農作物の盗難 (2003.7.2)


 日が経つのがどんどん早く感じる。もう7月になった。この、「ひとりごと」も、5月は3回、6月は2回しか更新出来なかった。私自身も、5月から日曜日は勿論、一日の休息日のないまま仕事と諸雑用等で、気がつけば6月も終ってしまった。毎日の生活を振り返ることもできない、周りすらゆっくりと眺める事のできない生活ぶりを反省しなくてはいけない。さて昨今、サクランボや梅、スイカ、メロンと、農作物の盗難が相次いでいる。あらためて強い怒りを覚える。畑や農作物には鍵を掛ける事はできない。だから、盗もうと思えば盗めるが、決して盗んではならないもので、それが社会規範である。それが守られて社会はなりたつ。山形県のサクランボの盗難は連日の被害を受け、一晩に500キロも盗まれた農家もある。これらは、複数犯の計画的犯罪で、特定の販売ルートを持つプロ集団の仕業といわれる。茨城県では、収穫前の梅、300キロが盗まれ、滋賀県ではメロン。「野荒し」の言葉があるように、昔から農作物の盗難はあった。でも、それは社会的に嫌われ、誰からも軽蔑されてきた。これは、農村を成り立たせる秩序を根底から揺るがし、社会の安全を危うくするからだ。現代のモラルの無い、何でもありの日本社会に大きな不安を感じるとともに、人と成るべく正しい躾や現行教育のあり方が問われる。

写真・・・・・サクランボを守る消防団(山形県天童市)

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 順調な生育をしている大和高原米 (2003.7.14)


 今年の梅雨はいつもと違い少しおかしい。各地で梅雨入りした6月上旬以降、晴れ間は少なく、よく雨が降る。したがって日照時間は全国的に平年を下回り、結果、北日本を中心に低温状態である「梅雨寒」の様相であるといわれます。このことが、15年産の稲の生育に影響を与えなければよいがと心配しています。そんな中で、平成10年産からデビューさせた「大和高原米(当社オリジナルブランド)」の生育状態の視察に行ってきました。大和高原米は、奈良県宇陀郡榛原町で生産される「こしひかり」を、生産者である加留勘治朗さんの協力を得て、当社のオリジナルブランドに育ててきました。品質的に良く大変好評の商品になりました。年とともに、加留さんとも、米の生産について意気投合し、「奈良のお米は美味しいで」と言ってもらえるように最善を尽くした米作りに挑戦しています。今年は雨が多く生育状態が心配で行って見たのですが、順調な生育状態であり安心しました。現在では、中干しに入っているようで、田圃から水が抜かれています。中干しは、土の中に空気を入れ、土壌中のガスを抜く事により、稲の根をより強くする目的で行われます。もうしばらくすれば、茎の中で穂が出来始め、8月中ごろには授粉が始まります。稲の一生の中で、穂の出る、10日〜15日前後が最も大切な時期であり、早く梅雨明けしてほしいと祈っています。今年初顔合わせとなった大和高原米に、「ガンバレ」とエールを送って、今秋の大いなる天の恵みを祈るばかりです。榛原には、収穫まであと数回伺う予定でいます。機会があれば又報告をしたいと思います。

写真・・・・・大和高原米を生産する榛原の田圃

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 世界最初の飛行機発明、二宮忠八 (2003.7,28)


 蝉の声が勢いよくなってきました。関西では、長かった梅雨もようやく明けたようですが、東北地方では低温傾向と日照不足から、米の発育が悪いようで大変心配しています。今後、天候が良くなる事を祈ります。さて、今週末(8月2日〜4日)から論語普及会主催・夏季尋常研修会が、京都府八幡市の石清水八幡宮、青少年研修センターで開催されます(対象者は小学校3年生から6年生)。研修の一部にハイキングも企画されていますので、下見を兼ねて、指導される先生方と八幡の町を歩いてきました。電車や自動車ではよく通るのですが、町を歩いて廻ったのは初めてで、沢山の発見や感動がありました。京阪八幡市駅から木津川の堤防沿いにあるサイクリングロードを4.5Kmほど上がると、時代劇の撮影によく利用される、「流れ橋」があります。木津川にかかる木橋で日本最長といわれる橋でありますが、江戸時代の趣があり現代の騒々しさを忘れさせます。市内には、数々の史跡や名所がありましたが、中でも驚いたことは、日本最初の航空関係神社であります「飛行神社」の存在です。この神社は、ライト兄弟より先に飛行機の実用化にチャレンジした二宮忠八翁が建立されたものです。私は、この神社に行って初めて、ライト兄弟より早く、人が空を飛ぶことに夢を抱いて人生を掛けた日本人「二宮忠八」という人を知りました。明治37年に、ライト兄弟が初めて動力飛行に成功したことは、学校で習った覚えがありましたが、それよりも前に「動力にて人間が空を飛ぶ」ことに人生を掛け、模型のカラス型の飛行機を飛ばす実験を成功させ、ほぼ同時期に動力の飛行機が完成し、飛ぶ矢先にライト兄弟の飛行成功の知らせを聞いたとあります。二ノ宮忠八翁の空への限りない情熱と探究心には感動し大きな敬意を表するものです。尋常研修当日は「飛行神社」の資料館にたちより、さらに詳しいことを知りたいと思っています。

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 太陽がほしい稲 (2003.8.12)


 作況指数80を下回るかもしれない平成15年産米、本当に深刻な事態になりつつあります。北・東日本を中心に日本全国天候が悪く、お日さんが出ない事が原因の一つです。今年は梅雨に入ってよく雨が降り、低温状態が今なお続いています。そして、雨が降ったり曇ったりすれば、当然日照不足になります。それらが原因となり、生育も平年より4〜5日、ひどいところでは15日以上遅れています。宮城県などでは、本来なら今頃は穂ぞろい期となる頃ですが、出穂もしていないのが現状のようです。その上、日本各地では稲の生育が軟弱な為「いもち病」の被害が出始めているようです。また、台風10号の影響が収穫や生育を更に悪化させ、最悪の状態になりつつあります。今年の米は減収必至の状態です。ちなみに、あの米パニックになった平成5年(1993)産の最終作況指数は74でしたが、明くる年の2月(平成6年)には、米が全国の店頭から消えてしまったことを思い出します。どうかこれ以上の被害が出ない事を念じます。

写真・・・・・いもち病で枯れてしまった稲株(宮城県岩出山町)

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 稔ってほしい今年の稲(2003.8.26)


 米不作が濃厚になって来ました。今年産水稲の8月15日現在の作柄概況を、農水省がまとめて発表しまた。発表によると、東日本では、北海道と青森、岩手、宮城の4道県が、作況指数90以下の「著しい不良」。関東以西27都府県の生育状況も、香川県の「平年並み」を除いて、「やや不良」となる見込みである。不作の原因は、梅雨入りした6月下旬から、雨や曇りといった悪天候が続き、太陽が出ない状態から日照不足が著しくなった。それにより低温状態が続き、冷夏となってしまったのです。稲の生育は、田植えから2ヶ月ぐらいすると、茎の中に穂が出来始めます。それから約25日位で茎の中から穂が出てきます(出穂)。出穂から1週間程度で、全ての籾が花を咲かせ受粉が終わります。受粉した籾は、その後10日位で胚(はい)や胚乳ができ、子房がふくらんで稔るのです。稲の一生で、穂の出る10〜15日前が一番大切な時期で、この時期に低い気温や強い風が吹いたり旱魃(かんばつ)にあうと、稔らない籾となり、品質や収量が悪くなってしまいます。今年はまさに稲にとって一番重要な時期に低温が続き、雨の日も多かったのです。その上、お盆前に日本列島を縦断した台風10号は、さらに稲の生育に大きな悪影響を残してしまいました。15年産米の不作が必至となった現在、14年産米の米価も急騰し始めています。そして、人気銘柄米(コシ・ヒトメ・コマチ)など、単品銘柄米は市況から姿を消しており、あっても異常な高値ということであります。平成5年産の不作のおり米パニックになりましたが、今回は備蓄米の放出も見込まれ米不足になることはありません。しかし、15年産の指定銘柄米を希望されると高値はやむをえない状況になると思います。この秋から来年にかけては、ブレンド米の方が価格、味ともに良いのではないかと思っています。収穫までの残された期間、天候の回復と、台風などの被害が出ない事を祈る毎日です。

写真・・・・・(上)ようやく出穂した稲(四條畷市内)例年より5日位遅れている。

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 米屋の真価を発揮する時(2003.12.1)


 今年も余すところ一月になってしまいました。一日一日の時間の経過が一層早く感じられ戸惑いを隠せません。この、「ひとりごと」も気がつけば3ヶ月もの長い間更新できませんでした。ひとり言をつぶやく時間さえ無いほど速いスピードと、めまぐるしく変化する毎日が、落ち着きの無い味気なさを強く感じます。そして12月に突入してしまったのですが、12月は先生も走り回るほど忙しい月。なんとか落ち着いてゆったりとこの師走を過ごしたいものと思います。でも、それは出来そうもありません。私の仕事は米屋であり、今年の米事情は大変な状況になりつつあるからです。冷夏により、15年産米は不作で収穫量が大きく落ち込みました。作況指数は85程度でしょうか。(農水省は90と発表・作況指数とは平年の米の作柄を100として算出さた指標)現在は国民の年間消費する量を計り、減反政策により米生産量を決めています。したがって、作況指数が85と言う事は、必要量の85%しかないと言う事になるのです。国民の必要量は880万トンと見込まれていますが、今年は750万トンを下回る生産量になり、不足分は130万トン(国民2か月分の消費量)になります。政府の備蓄米が130万トン有るものの、平成7年8年産は古米臭がひどく飼料用になり、9年以降の米にて補充される事になっています。そのため、新米の品薄感と銘柄米志向から、価格は急騰しています。今年は単品銘柄ではとても高値となり、複数年産・複数産地・複数品種を上手にブレンドしたお米が、価格、味ともに安定感がでるのではないかと思います。本当の意味で、米屋独自の味を出せる絶好の機会でもあり、真価を発揮する時でもあります。大いに頑張りたいと思います。

写真・・・・・収穫が終わった田圃風景(山梨県甲府)

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