「川西勝久のひとりごと」のバックナンバーです |
2002.1.1 作成
新年明けましておめでとう御座います。
昨年中は大変お世話になりありがとうございました。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
もう初詣はされましたか。私は、四条畷市内にある氏神様(住吉平田神社)にお参りし、続いて四條畷神社に御参りして来ました。心身ともにピリっと引き締まり、「さあ、今年も元気一杯大いにやろう」と、快い勇気がみなぎりました。
「一年の計は元旦にあり」と申します。情熱的に計画を立て、目的に向かって力強く一歩一歩前進したいものです。そして心豊かな一年でありたいと念願します。不況も長引いていますが、21世紀の政治経済共に安定した日本を構築するためには各種の機構改革や構造改革を英断しなくてはなりません。当然大きな痛みと大きな不安が伴います。しかし、これを乗り切らないと真の豊かさはやって来ません。国民一人一人が自分の使命や役割を深く認識し、それぞれの分野、立場に応じた責任を全力で果たさなくてはいけません。それらを成す為の一番近道は「らしさ」を発揮する事ですが、現在の日本はそれが無くなりつつあります。政治家は政治家らしく、経営者は経営者らしく、先生は先生らしく、父親は父親らしく、母は母らしく、子は子らしく、男は男らしく、女は女らしくであります。自身を省みて、各自が自分の役割を正しく発揮する事により大きな成果が出、本来理想とする日本が再生するのではないでしょうか。今年は「らしさ」を取り戻す一年にしなくてはなりません。
写真・・・初詣で賑わう四條畷神社(平成14年1月1日撮影)
6日に四條畷市消防出初式があり、孫と共に会場に行って来ました。寒風の中で行われる整然とした式典は、観ている者も身を引き締められる感がし、気合が入る。一年のスタートには最適なセレモニーで、「さあ!今年もやるぞ・・・」と熱い闘志が湧いて来る。そして、本日より吾が方の仕事始めであります。最近の経済状況は、不況風も一段と厳しく困苦の内にあります。米穀関係も例外ではなく、狂牛病などの影響もあって、外食関係も低迷を極めております。その上、核家族化と食に対する価値観の変化により米食離れが進み、米の消費量は減る一方であります。しかし、不況不況とばかり言ってはいられません。「この苦境を乗り越えなくては、私の使命は果たせない。」この強い信念の基、本年の業務をスタートさせます。幸いに昨年の収支(13年10月決算)は、僅かではありますがプラスとなり、12月はプラス14%アップでした。この不況下にあって誠にあり難い事と感謝しています。今年は更に米屋業の原点に返り、お客様との対話を深める活動を強めていきます。因みに2002年スローガンは「もう一度米屋業の原点に返ろう。日本人は米食でなければダメ、そのためにも美味しいお米を台所まで届けよう」であります。スローガンとしては誠に泥臭くスマートではありませんが、これが米屋の原点です。本当に信頼される商品があって、初めて台所で使ってもらえる。そんな信頼される商品、会社作りを更に追求して行きたいと思っています。
写真・・・四條畷市消防出初式(14年1月6日撮影)
昨日は成人の日。四條畷市も市民総合センターで式典があり出席して来ました。会場は新成人でいっぱい。特に女性の着物姿は艶やかで美しい。各地の成人式では、昨年同様、はめをはずし大荒れの会場もあったようです。暴れる内容は、どこでも同じようで、一部の者が式典の最中にクラッカーを鳴らしたり、奇声を上げたりと、何とたわいない事で、大人になりきれていない幼稚性が原因。四條畷市は、今年から成人式の開催は新成人を含め各ボランテァと連携して実行委員会を結成し、今年のテーマを決めて式典やアトラクションを企画した事が良かった。今年のテーマは「出会い」。式典以外のアトラクションではこの「出会い」のテーマを中心に企画されていた。第2部アトラクションのテーマは「今、輝いている人との出会い」として、当市出身1992年にドラフト1位指名で読売巨人に入団した谷口功一さんが「野球との出会い」を講演。その他20歳によるパフォーマンス・ステージとして、「ストリートダンスと仲間の出会い」や「感動との出会い」。第3部では「なつかしい人・新しい人・文化と出会う」などであった。素晴らしい出会いとその回数が、人生に大きな影響を与え自身を完成させていく要因になることは誰でも認めていること。新成人にあって、この出会いの大切さ重要性を、何時までも心に刻んで欲しいと願う。尚、この成人式の式典にあって、国家斉唱があり、司会者から「全員のご起立をお願いします。」と案内されて、会場の新成人は勿論全員が起立をして国家斉唱を致しましたが、ただ2人、私の目の前の共産党女性市会議員だけが起立せず座っていたのがなんとも滑稽な姿でした。まだ大人になりきれていない人がここにも居ました。
写真・・・会場に溢れる新成人の美しい着物姿(平成14年1月14日撮影)
昨年11月、12月と休講していた耕心塾月例講座を1月18日に再開する事が出来ました。大切な社員の死後、もう耕心塾は出来ないかと半ば諦めていましたが、沢山の人に励まされ勇気付けられて、こんなに早く再開出来る事となり感謝と感動でいっぱいです。昨年暮れ、落ち込んでいる私を励まそうと友人が近くの居酒屋山に誘ってくれました。その時に耕心塾を再開したい思いを話しますと、「是非再開しましょう。出来る事があれば言ってください。」と、大変有り難い申し入れがあり、その温かい励ましや協力に勇気付けられて再び開講する事が出来たのであります。当日は大変寒い日となりましたが、20人もの方々が熱心に受講され、本当に良かったと嬉しくてたまりませんでした。特に今回、3名の若者が初参加をしてくれた事もあり、二重の喜びでありました。本当に持つべきものは友だなと実感しています。今後も多くの師や友人に助けられて「耕心塾」を地域の寺子屋として発展させて行きたいと思います。どうぞ宜しくご指導ご鞭撻の程お願い申し上げます
写真・・・講義終了後の懇親風景(平成14年1月18日撮影)
昨年、和牛が狂牛病に感染した件は、日本中に大きな衝撃を与えた。その事はこの不況を更に悪化させ、外食業界・焼肉店はもとより、一般家庭での牛肉関連商品の消費量が激減したという。マクドナルドでは狂牛病騒動の影響などから前年対比40%もの減益となったと報道していた。政府の指導により、和牛に対する安全性確保と不安解消の為、和牛の処分を行う事となり、大変勿体無い話だが、安全性と信頼性回復の為ならしかたないとその動静を見守り、効果を期待していた。が、それを悪用し国民を冒涜するバカげた事件が又起きてしまった。雪印食品による和牛肉偽装事件である。一昨年脱脂粉乳による大量食中毒事件を起したばかりの雪印乳業のグループ企業でであり、雪印の企業体質や企業倫理の悪さに閉口する。食中毒事件以来、厳しい経営を強いられ信頼回復の為に企業倫理を徹底していたはずであろうが、この不況と更に追い討ちした狂牛病の影響で、経営は行き詰まっていたのか。いづれにせよ、僅かな目先の利を得んが為に取り返しのつかない事態となった。やはりこのような企業体質では消えていくしかないのであろうか。不況の時にこそ「利を見ては義を思う」精神の経営が重要であり、更に会社を経営する私達は「既に過ぐるの事は、将に来らんとするの鑑をなす。」でありましょう。過去の過ちや教訓を正しく認識し、其れを生かし、二度と同じ失敗は繰り返さないようにする。この事が一番大切な事であると思う。
今日は立春、暦の上では春。寒い寒いと言いながらも心なしか気分も明るくなります。
昨晩はどこの家でも巻き寿司の丸かぶりをされたのではないでしょうか。節分の夜に、その年の恵方(えほう*今年は北北西)を向いて、太巻き寿司を丸ごと無言で食うと、1年間良い事があるそうです。この風習はどこで、いつ頃から始まったのか解りません(こう言う事は関西ではないかなと思いますが定かでは有りません)。巻き寿司を使うのは、福を巻き込むからと言われ、切らずに1本丸かぶりするには、縁を切らないためだそうです。なかなか面白いですね。私も商売上、節分の前には寿司屋さんへのお米の配達に大忙しでした。各ご家庭で、奥さんが買ってきた太巻き寿司を、何の抵抗も無く、丸かぶりをさせられているご亭主たちの姿が想像でき、ほのぼのした光景が想像できます。楽しいですね。寿司屋さんや米屋にとっては有りがたい風習であり、今後も益々発展してくれる事を願います。また、日本人はこう言う事が好きですね。間もなくやってくるバレンタインディーはチョコレイト。ひな祭りは蛤のお吸い物。その他、土用はうなぎ、冬至にはかぼちゃ。それぞれに言い伝えや訳があり、日本人の知恵でしょう。一つ一つ調べてみても面白いのではないでしょうか。今年に入ってからも明るい楽しいニュースは少なくて気分も沈みがち、太巻き寿司の丸かぶりで、少しでも元気が出れば最高です。毎月でもやっていただきたいと思います。さあ、今月も楽しく大いにがんばりましょう。
第19回冬季オリンピック・ソルトレーク大会が開幕した。日本人最初のメダルは予想どおり、女子モーグルの里谷多英選手であった。里谷さんは長野五輪(金)に続いて銅メダルを獲得。日本人選手の2大会連続メダル獲得は、冬季五輪個人種目では史上初だそうである。4年前の長野を思い出し、応援にも力が入る。里谷さんの素敵な「たえスマイル」をもう一度見たいと応援していたが、見事その期待にこたえてくれた。
オリンピックの選手は日本の代表として国民の大きな期待を背負って競技に挑む。オリンピックの日本代表になるためには、一般人には想像を絶するとてつもない試練や重圧を乗り越えた者にしかなることは出来ない。そしてオリンピックの本戦に臨み、その確たる成果を成しえるにはそれ以上のプレッシヤーと戦わなくてはならない。このような強靭な意識やエネルギーはどこから発生するのか。当然自分の為であり、戦いに勝つ喜びも有ろう。しかし、それだけでこの血の出るような試練には打ち勝てない。これは、自分を愛し、家族を愛し地域を愛し、日本を愛する強い精神が根底にあるからに他ならないと思う。要するに愛国心であり責任感である。現在、日本国民は真の国家意識や愛国心と言うものをどれほど持っているだろうか。日本のためにどれほど自分を活かせるだろうか。昨日は建国記念の日、神武天皇が初代天皇として即位されたとされる、西暦紀元前660年を元年とする日本建国の日(紀元節)でありました。この建国を記念する日に、私達は日本国家の原点、建国のいにしえに心を馳せて、心から日本人であることへの感謝や誇りを抱き、国民としての自覚やその責任を果たさなくてはならないことを痛感するのです。ソルトレークオリンピックの日本選手の素晴らしい活躍と成果を念じ、日本建国を心から祝いたいものです。
写真・・・建国記念日の橿原神宮(平成14年2月11日撮影)
子曰わく、学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋遠方より来る有り、亦楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子ならずや。伊與田覺先生の優しい温かい声が、我が茅屋に響きます。先週15日に耕心塾月例講座が開講2周年となり、(財)成人教学研修所・学監・伊與田覺先生をお迎えして特別記念講演会を開催する事が出来ました。講題は「論語を楽しく活かす人生」。この題は、論語精神を毎日の生活に活かせる事が出来たら、どれほど素晴らしい事かと思いお願いしたのです。現在ほど、孔子の精神である論語を理解実践する事が日本人にとって重要な時はありません。人間が真の人間として生きれない。本来あるべき人間の特性や要素を忘れたり、勘違いをしている現代人が余りにも多いからです。今を代表する携帯電話一つを見ても大きな弊害が生じ始めています。内閣府が発表した「青少年非行問題に関する世論調査」では、携帯電話の普及が非行を招く社会環境をより悪化させていると忠告しています。子供達(青少年)の携帯ブームは空前のもので、電話による出会いの増加が非行の温床になっています。また無差別に入り込む情報に振り回され、正しい判断が出来ません。物質的豊かさのみを追いつづけた経済優先の大きなツケが、子育てを初め家庭崩壊など教育を荒廃させ、政治や経済までもおかしくしてしまいました。論語には人としてどのように生きなければならないかを教えています。その論語を、伊與田先生から一語、一章丁寧に解説を交えて、時流の諸問題とともに解り易くご指導いただきました。伊與田先生の情熱溢れる御講話を拝聴し、参加者全員大感激の二周年講座でした。
写真・・・講義をされる伊與田覺先生(平成14年2月15日撮影)
衆議院予算委員会(20日)でのNGO参加拒否問題などをめぐる参考人質疑と集中審議の模様をテレビで見ていてむなしさを感じたのは私だけだろうか。これが一国の外相なのか。あれが国民を代表する国会議員なのか。参考人が、己を擁護し他を誹謗中傷する姿や各派質問者の言葉遣いなど、実に見苦しいものであった。あのような事では国益どころか、大きな損失です。まさしく政治のあり方、政治家の資質が問われます。これほど政治が乱れれば、自ずと社会が乱れ国が乱れます。間もなく国は滅びるでしょう。其の兆候が顕著になってきています。知事や市長である首長の汚職や犯罪の多発。企業倫理の崩壊。校長先生、教頭先生など教師と言われる人たちの、万引きやハレンチ犯罪の増加。芸能界の無節操暴走。テレビなどに出演する何々評論家たちの利己型無責任発言の横行。育児が出来ない近代の親達。其れに関連して、教育や躾が出来ない家庭の増加。また、学校はもう何も教えることさえ出来なくなっている。学校に通う子供達を見れば一目瞭然。髪型、髪の色、服装、乱れに乱れています。親も学校も何も言えなくなったのか、これが当り前だとでも言うのだろうか。さて日本はどうなってしまうのでしょうか。しかし、こうした国を作ってきたのは私達国民であります。物質的豊かさを求めすぎ、勘違いした欧米の自由放漫な家庭生活を理想とした日本の家庭作りの失敗から、自由の名のもと真の教育は出来なくなってしまいました。衛星から見て24時間明々としている国は日本だけらしいです。夜も昼も無く働き、遊んでいる忙しい国。本当は午後9時ぐらいには店もしまい、テレビラジオも終わって、家庭での団欒や人的修養にあてる、心豊かな時間の取れる国にしたいものですね。政治家の皆さん、本当に日本の事を思い、国民の幸せを願うならば、どんな政治家になるべきか、どのような政治をすべきかを学ばないといけませんね。
卒業シーズンを迎えました。市内の中学校から卒業式の案内状が届いていますが、案内文の最後には「卒業式では、学校の司会進行にご協力をお願い申し上げます。」とあり、何の事かと考える。この案内状は当然来賓を対象にしたものであろうが、来賓者が式典の進行を妨げるような事は無いと思っている。これは、式典の式次第に、「国歌斉唱」があり、全員の起立を司会者から求められるわけですが、起立しない者がいて、生徒も立つべきか座っているべきか躊躇する光景がある。この事を指してのお願いであろうと推察する。それならば、司会者が「全員起立」と言っているのにも関らず、平然と座っている学校の先生方に、式典の進行に協力しなさいと言うべきものであろう。学校の卒業とは、全ての課程を学び得た事であり、次なるものへのスタートをも意味する。そんな重大かつ大切な節目である。その大切な節目には、足元が凍えるような寒い体育館にあって、心身ともに厳粛な気持ちになることが重要であり、式典のもつ厳かな清浄を生み出すには、国歌や仰げば尊しなどの斉唱が無くてはならない。卒業式という一つの節目を、人生の大きな節に出来るかどうかは、その式典如何である。大いに感動ある立派な式典になることを熱望する。
一週間ぶりに漸くパソコンが起動した。パソコンに入力している、又は接続している各種の機器との接続に問題があったようです。ともあれ動いてくれてホッとしています。さて、外務省の機密費事件や横領など一連の不祥事が発覚し、外務省改革の急務が叫ばれはじめた中、、渦中の人であlる鈴木宗男議員が自民党を離党した。また、加藤紘一議員も元秘書の脱税容疑逮捕から自民党離党が確実になった。いずれも離党と言う事で政治家としてのケジメをつける形をとった訳だが、なぜかすっきりとしない。しかし、何時になっても政治家は懲りないものですね。政治家が失脚する原因は、人と金が必ず絡むが、ようも懲りなく同じパターンを繰り返すものと呆れるしかない。政治家は政治家特有の価値観により善悪を解釈する。所謂永田町の論理である。要するに自分の都合に合わせた法解釈や理屈に終始し、自分勝手で自分さえ良ければ良しとする政治のあり方が問題である。現行政治の間違いは、与野党政治家全ての勝手都合主義・利己主義からなるもの。論語に次の様な教えがある。「子の曰わく、之をみちびくに政をもつてし、之をととのうるに刑をもってすれば、民免れて、恥ずることなし。之をみちびくにコをもってし、之をととのうるに礼をもってすれば、恥ずるありてかつただし。」
これは、一般社会に求める以上に、上にたつ立場の者ほどわきまえなくてはならないことだと思う。法の網をかいくぐり、要領よく逃れていくような恥ずかしい生き方を改め、清く正しく、道徳を基本とした、正義に基づく政治、強い信念に基ずく政治がなされるよう念願しています。
写真・・・四條畷神社の桜(平成13年4月撮影)
今年の開花予測は3月25日前後と言われます。待ち遠しいですね。
わが町四條畷では、もう桜が満開に近い。今年はいつもの年からすると一週間以上早い開花となった。桜の花は気分を明るく爽快にさせてくれる。やっと、寒くて重苦しい冬から、一気に開放されるからであろうか。そんな事も手伝って、昨日飯盛山に登りました。実は、今月の末(3月30日〜4月1日)に、(財)成人教学研修所において、春季尋常研修が開講されます。この研修には、小学校3年生から6年生の子供達が参加し、論語や孝経などの古典を学んだり、規律ある集団行動や、食事の準備から寝具の上げ下げ、掃除などを行い、精神修養と人格育成を成す目的で毎年開講されます。そのカリキュラムの中の一つに、飯盛山登山と室池ハイキングがあり、研修所から、谷超え山越えして、四條畷神社に参拝し、飯盛山を目指し、室池を経由して研修所に戻るというハードコースです。子供達にとっては少しハードな登山になりそうですが、そのコースの下見をするために、飯盛山登山をして来たのです。登山は今年初めてで少し不安もありましたが、桜の花が咲いている絶好の時季であり、心身ともにリフレッシュでき、大変楽しい登山となりました。研修当日、本番の登山には、全国から来る子供達に、四條畷の自然を大いに満喫してもらい、楽しんでもらおうと今から楽しみにしています。私は、この尋常研修のお手伝いは今回で二回目となりますが、研修を重ねるに付け、子供達の活き活きとした態度や行動の変化には驚かされます。「性、相近きなり。習い、相遠きなり。」を実感させられます。能力も可能性も大い秘めた子供達を、大いに活かすも、ダメにするも教育しだいであることが分ります。
写真・・・・・飯盛山頂から我が町四條畷を望む。(平成14年3月24日撮影)
この4月から、公立学校では毎週土曜日が休日となり、完全五日制となる。これは、子供達に、ゆとりと潤いを与え、自主性や自立性を目指そうと実施されるのだが、果して週休2日が今の子供達にとってプラスになるかどうか不安である。何故ならば、現在ほど、礼儀作法やしつけ。人のことを思いやる、あるいは我慢をすると言うような道徳教育や人格教育が家庭で施されていないからである。その上、父母ともに仕事を持つ家庭が多くなり、土曜日は子供だけとなりがちであることが問題である。正しい事、正しくない事。して良い事、いけない事。こう言った事を何も教えることなく、ただ、ゆとりだの、潤いだのと、身体を休ませるだけの施策であれば、近い将来日本は大変な結果を招いてしまうと思うのです。今後、毎週末の二連休のあり方は、是非とも子供達の人格育成に全力をあげて取り組むべきと思います。前号で紹介しましたが、(財)成人教学研修所(四條畷市逢阪)、春季尋常研修会(3月30日から4月1日)が開講されていますが、子供達の順応性や可能性は驚くべきものがあります。正しく教えれば、食事の準備や後片付け。風呂やトイレの清掃を進んでこなし、孝経など古典をも楽しく興味を持って学ぼうとするのです。子供は大きな理想を持ち、豊かな明るい夢や希望を一杯持っています。これを引き出し、それらを一歩でも実現させてあげれるような学校五日制になることを念じてやみません。
写真・・・・・尋常研修で室池ハイキングを楽しむ子どもたち(平成14年3月31日撮影)
本年、春の珍事が起きている。阪神タイガースの開幕7連勝である。昨年最下位だった阪神が、なぜこんなに強くなり変貌したのか、確かなことは分らない。ただ言える事は、阪神タイガースを名実ともに「ナンバー1」のチームにするのだと言う強い信念を持った、星野仙一という素晴らしいリーダが出現したこと。そして、それに応えようとする選手の意識が変わったことである。今の阪神の戦いぶりを見ても、溌剌とした清々しさを感じ、躍動感さえ感じる。星野仙一氏とは、私の印象では、強烈な個性と闘争心からなる、仙一流のプロ美学を持った人であると言える。選手にプロとしてのあり方、心がけなどを説き、プロ選手としての崇高な理念や理想を持たせ、戦う喜びや勝つ悦びなど、プロ選手としての意識を改革した事がこの7連勝につながっているのではないだろうか。いくら練習を重ねても、目的の無い練習では、成果は現れないであろう。ようは、物事を成しえるには、その目的にあった意識改革が断行されなくては成しえないと言う事である。意識を変えれば、どんな事でもその意識どおりになる。これを実証しているのが今のタイガースではないだろうか。私はジャイアンツフアンではあるが、それを確証するためにも、阪神タイガースには勝ってもらいたい。今年は阪神ファンになり、阪神タイガースを応援したい。
写真・・・・・ヤクルト戦でホームランを打ったホワイト選手を迎える星野監督(6日毎日新聞)
日本がどんどんダメになっていく。最近、特にそんな事を思う。なぜそのように思うかと言うと、本当の正しい教育が施されていないからである。現在の子供たちは、素晴らしい日本への愛敬の念や、日本人としての誇りなどを持つことが間違っているかの如く、荒んだ教育を余儀なくされているからにほかならない。子供が大人になる成長のプロセスにおいて、大切な記念日や、数々の節目を乗り越えていかなければならないが、大切な区切り、節目において、そのつど捻じ曲がった思想の害を受けてしまう。4月は入学のシーズン。その時季、決まって国歌と国旗の問題が発生する。学校の式典において、国旗を掲揚して、国歌を斉唱するかしないか、もめるような国は、世界中見渡しても日本ぐらいなものであろう。また、他国の国旗を掲揚して、卒業式をするのも日本ぐらいなもの。なんとナンセンスな事か。我が地域の、四條畷北高の入学式では【「日の丸・君が代」の押し付けは憲法違反です。一人一人の「内心の自由」を守りましょう。】というビラが校門で配られました。そして、「日の丸」を掲揚することや「君が代」を歌う事を、子供たちや父兄に押し付ける事は、国民一人一人に保証された「内心の自由」「精神の自由」への大きな侵害にあたる。と述べ、内心の自由は、最も大切な基本的な人権である。と、ビラには書いています。結果、この式典では、起立して、国歌を斉唱する生徒、教師はいなかったと言う事です。誠に残念なことです。式典において、国旗を掲揚し、国歌を斉唱する事は、押し付けでしょうか。私は、日本国民の義務であり当然の事であると思う。こんな事に終始し、教師本来しなくてはならない事を忘れている現行の教育では、日本の将来には明るい希望が見出せませんね。
春深く、木々の緑も色濃くなってまいりました。日本の自然は最高だなぁ。と、日本で生まれて良かった。日本人であって良かったとしみじみ思います。この日本の自然風土の豊かさ、有りがたさを、最近は忘れてしまっている人が多いのではないでしょうか。この自然の温かさや爽やかさなどの、自然の気配(けはい)すら感じられない人が多くなってきたと思います。自然に限らず生きていく上では、何事にも「けはい」を感じる生き方が大切ですね。気配を感じる事が出来るのは、字の如く、きくばりが出来ないといけません。豊かで繊細な心や、人や自然を尊び敬うような謙虚な気持ちが無くては物事の気配は感じられないでしょう。現代人は、自分の得にならない事や、自分の好まない事には無関心であり、無視をします。携帯電話に入ったメールを見ながら、歩いている若い人の後ろには、自動車が通れなくて困っていても、その気配すら感じない無頓着さに唖然とします。いつも活き活きとして、尚且つ、敬敏な心を持つ生き方を心がけたいものです。
写真・・・・・室池(四條畷市)
ゴールデンウイーク、各行楽地では大勢の観光客で賑わっていると報道されている中、昨日は「緑の日」の祝日。本来は昭和天皇の御誕生日であります。新聞やテレビなどで、何か昭和天皇の特集があるのではと思い見てみると何ひとつ載っていません。それでは「緑の日」に関する記事は?、これもありません。日本国中、ゴールデンウイークという事で、休日を楽しんでいながら、何故、今日は休みなの。何の日なの。という事をも認識しない世代が多くなっていると思う。新聞では、誰が勝っても大差ない、新潟、和歌山の国政選挙と徳島県知事選挙の報道でいっぱい。こんな事よりも、祝日「緑の日」をお祝いし、昭和天皇のご遺徳に感謝しなくてはなりません。その事が何ひとつ出ていない現在のマスコミには、何かしらの偏向偏狭を感じ、寂しさと不安を感じる。無私と慈愛に満ち、国家国民の幸せのみを念じられた、昭和天皇。今日私は、出雲井晶著「昭和天皇」を再び読みました。先の大戦でポツダム宣言を受け入れられた「ご聖断」には、国家国民の幸せを願い、一身をもって戦争の全責任を負うことでありました。数千年の昔から様々な民族が幾たびと無く興っては亡びを繰り返しています。その非常のとき、国民を守るために自分の命を捨ててよい、自分が絞首台に上ってもよいから国民を助けよういう君主は一人もいなかった。すべての罪をご自分ご一人で背負うという、崇高な覚悟をまざまざと目の前にしたマッカーサーの感動は頂点に達し、「我、神を観たり」と叫んだとマッカーサーは後に記しています。利己的な風潮が多きを占める現代社会にあって、少しでも他人の幸せや国家の清い繁栄に思いをめぐらす心を持つことの大切さを、昭和天皇の御心に触れて更に大きく感じました。
写真・・・在りし日の昭和天皇と香淳皇后(宮内庁)
風薫る5月。元気に泳ぐ鯉のぼりが、田植えの始まった水田に写り、田舎ならではの風景を車窓から眺めながら、岐阜県飛騨金山の実家に帰ってきました。道中いたる所田植えが行われており、農業にはゴールデンウイークなんぞ関係なし。収穫期を考え、生産品種の性格を勘案して田植えをしているのでしょう。私も職業柄、収穫まで立派に育ってくれと祈りながら、日本の農村風景の美しさに魅了されつつ、車窓からの光景を楽しむ事が出来ました。今回の帰省は、高校時代にお世話になった、恩師、上野省三先生の定年による、教職ご勇退をお祝いする集いに出席するためでありました。上野先生は、昭和40年の岐阜国体ラグビー強化選手として赴任以来37年間の長きに渡り、岐阜教員として多くの後進を育てられました。とりわけ私達は、大学卒業したての現役バリバリのラグビー選手時代にお世話になり、厳しく仕込まれました。当時の練習は、1にも2にもランニング主体の練習メニューであり、魔のランパス、鬼のキックダッシュの、しごぎ練習が毎日続き、学校を辞めようと真剣に思った事も何度かありました。しかしそんな苦しみの中、ラグビーを通じて先生から多くの事を学びました。その中の一つに「言い訳は絶対にしない・人のせい、他の性に絶対にしない。」という精神であります。合宿中のOBとのトラブルがあり、憂さ晴らしにかき氷を食べに数人で外に行きました。氷を食べながら、OBのしごきや練習方法のあり方に不満を募らせ、ついつい門限時間を数分超過して合宿所に戻ったところを先生に見つかり、2〜3日ご飯も噛めないくらいぶん殴られました。その時、私達はどんなにお願いをしても許して貰えなかった事は、門限違反でありました。上野先生曰く、「自由時間に町に出て、お茶を飲もうが、氷を食おうが、そして、練習に文句があろうがそれは勝手だ。私が怒っているのは門限違反というルール違反をした事である。これにはどんな言い訳が出来るのか。言い訳など出来ないであろう」と、大きな硬い拳で次々と叩かれました。その時、先生の目には薄らと涙が光っているのが見え、自身の間違いに気づいたのです。そんな大切な事を身をもって教えてくださった、上野省三先生、本当にありがとう御座いました。そして、長い間本当にご苦労様でした。定年後は故郷の神戸に帰られるとの事。距離も近くなり嬉しく思います。今後とも宜しくお願い申し上げます。
写真・・・・・恩師上野省三先生ご夫妻(左右)と私
全国各地では、田植えの真最中。日本人の主食である米作りが今年もスタートした。先進国の中では食料自給率が40%にも満たない最低の現状にありながら、毎年生産調整が行われ減反が実施される。過剰生産を防ぎ価格の安定をにらんだものであるが、所詮、生産者とは関係の無い者の机上での数値設定であり、このままでは日本の米作りはもとより、日本の農業すら駄目にしてしまう。そんな中で、日本の米作りを後世に残そうと各種の取り組みがなされている。JA新ふくしまでは、総合的な学習時間に、食農教育を取り入れる小学校を全面的支援し、年間を通して田畑での農業体験を積極的に受け入れていくという。また、新潟県上越市中ノ俣では、昔ながらの牛による代かき(たんぼ作り)作業を25年ぶりに復活させ、昔の農業を思い出し、稲作文化を伝承していこうとするユニークな企画も。その他にも、小学生田植え体験学習(滋賀県多賀町)などを実施する所も多くなって来ている。この様な取り組みが日本の米文化と農業を更に繁栄させるきっかけになる事を願い、平成14年産米の豊作を祈りたいと思います。
写真・・・・・ほのぼのとする田植えの景色(平成14年5月3日撮影)
近年、学校でのクラブ活動不要論を唱える教師や学校が多くなってきた。理由はクラブの監督や指導者が、スポーツ経験が少なく、特に種目的にも、専門家では無い為に正しく指導出来ないと言うものである。また、生徒全員が何れかのクラブ活動をするように義務付けていた時代があったが、生徒個々の優れた部分をより専門的に伸ばすためには、校外でのクラブチームに所属したほうが、個人的にはプラスになると言うような考え方が多くなり、学校のクラブ活動に入らなくなった。いずれも成る程と思えない事も無いが、本音はどうか。そして、「子供たちにゆとりある教育を」と、本年4月から学校5日制が実施されているが、これも本当に子供たちにゆとりを与え、将来にはこの事が子供たちにプラスに成るのかは、現状の施策や認識のままでは疑問である。なぜならば、子供たちの将来のためにも、より素晴らしい、より豊かな人格を育むような人間教育への情熱が何処からも伝わってこないからである。私の良き友人に、記虎敏和(啓光学園ラグビー部監督/右上写真)という熱血教師がいる。ご存知のとおり、彼は昨年の全国大会においてV3を成し遂げた素晴らしい指導者ですが、ただ素質の良い選手達と巡り会えたから優勝出来たのではなく、1年365日寒い時も暑い時も、雨の時、風の時、何れをも問わず選手達と一緒にグランドに立ち、子供達の将来を見つめ、真から情熱を注いだ結果の事です。そして、それには奥様を初め家族の大きな犠牲から成り立っているのです。現在のクラブ活動不要論の原因には、教師達の家庭を犠牲にしてでも教育に情熱を注ぐ気概が欠落している結果であると思うが、如何でしょうか。
写真・・・・・啓光学園ラグビー部監督 記虎敏和先生(平成14年5月19日撮影)
新緑がまぶしい絶好の行楽日和のなか、奈良・大和路を訪ねて来ました。コースは唐古・鍵遺跡、大神神社、箸墓古墳、長岳寺、櫛山古墳、崇神天皇陵など。美しい素朴な自然を今も残す山の辺の道を辿り、古代に思いを巡らす素晴らしい一日となりました。各見学地では、前四條畷市教育長、桜井敬夫先生や文化財担当の野島先生から詳しく解説をお聞きし、当時の生活や技術レベルの高さには驚愕致しました。現在のような測量技術や高性能な測量機材の無い当時に、あのような大きな古墳がなぜ正確に作られたたのか。またきらびやかな装飾品などを作り出したセンスの良さ、文化の高さなど、古代人の偉大さに恐れ入り感激するばかりでした。昼食には三輪ソーメンを堪能し、快い初夏の涼風を満喫する一日でした。(詳しくは左側、耕心塾ー6月の行事UPをクリックして、第26回耕心塾レポートをご覧下さい。)
写真・・・・箸墓古墳<全長278m、市内最大の前方後円墳。邪馬台国の卑弥呼の墓と言われるが、学者により諸説がある。5月26日撮影>
全国の公立学校で4月から週休2日制がスタートし、週末の過ごし方あり方が色々言われている。ゆとり教育の中で、自ら学び考える力を育てようと始められた新学習指導要領は、これからの日本の教育にどのような成果と影響をもたらすのであろうか。そんな中、今年度特に注目されるべき事は、小中学校での農業体験実習が全国いたるところで盛んに行われ始めた点である。農業を通じて勤労の尊さや、生産収穫の難しさと喜び。自然とのふれあいや思いやりなどを体感しようと言うものである。現在、子供達の食に対する事情や価値観は大きく変わり、食は生産して得るものではなく、お金さえ払えば得る事が出来ると錯覚しているように感じる。従って、食べ物への感謝や有り難さは薄れ、粗末にする。今やテレビなどでもグルメ番組の放映されない日は無いぐらい毎日ある。大食い大会や高級素材をふんだんに使った料理番組。ラーメンや寿司などの有名店紹介等等、まさしく飽食の時代。食べ物は味を楽しむ事が優先かのごとき感も多い。こんな時代にあって、今回の農業体験学習が、食べ物への大切さありがたさを学び、感謝の気持ちが大いに発揚されるきっかけになる事を祈りたい。
写真・・・・・深野棚田(三重県松阪市)の田植え(2002.5.13写)
日本経済の長期低迷に絡み、国民生活は昏迷と不安が増大し、深刻な状況が続いている。小泉内閣の掲げる構造改革も、度重なる政治家の不正疑惑などで一向に進展しない。この窮迫した日本を救うには、きちんとした政治に頼らなければならないが、その政治をする政治家が、今や自身の金儲けばかりに終始し、損か得かの政治屋家業。国民の血のにじむような税金を政策秘書給与として騙し取るほど金に執着する。政治家がお金に執着すると善政は出来ない。現在ほどの政治不信を招いているのは、政治家の政治への無能さは言うに及ばず、お金の魔力に毒された結果であると言えよう。全てにカネカネと利己の経済活動を優先させ、利益を追求する裏には、金を得たものが全てに勝者であるがごとき風潮からなる。論語に「利によりて行えば怨み多し」とか「利を見ては義を思い」などという言葉があるとおり、利益を享ける正しいうけ方、あり方というものがあって、その道を逸するような行為は恥であるということを知らなければいけない。現在ほど「恥」ということを感じなくなった時代はない。日本を再生するにはまず政治家の利門名路をむさぼるような体質を改革するところから始めなくてはならない。
サッカー・ワールドカップ(W杯)が日本列島を熱くしている。日本代表、W杯念願の1勝は6月6日、対ロシア戦で達成。そして6月14日チュニジアと対戦し2対0で快勝。見事2勝1分け、H組1位で決勝トーナメントに進出を果した。Jリーグの試合はあまり見ない私ですが、W杯は別。ベルギー戦から全てTV観戦した。日本代表はこのW杯でチームが一つになり、試合ごとに段々強くなっていった。選手個々の特徴レベルが見事にかみ合い、3試合とも日本サイドで試合メークできた事が勝因。これで世界のベスト16入りしたわけだが、これからがW杯の正念場。決勝トーナメント最初の相手はトルコ。トルコは48年ぶりのW杯出場で、言えば初出場と同じ。国際試合の経験不足がどう影響するのか。しかし同じC組で戦ったブラジルを苦しめた粘り強さとスタミナは脅威である。ベスト8を目指して18日のブラジル戦は更に厳しい戦いになると予想されるが、日本国民を大いに楽しませてくれるベストゲームになると思う。今後、世界の強豪相手に日本代表は何処まで戦えるのか楽しみである。と同時に日本代表選手達の大いなる健闘を祈りたい。
さて、当方HPのトップページを一新し、私の「ひとりごと」も単独ページにしました。その他、14年産の産地情報も今後随時お知らせ出来ればと、産地との連絡を進めています。どうぞジャパンラオフードのHPにも温かいご支援ご声援を賜わりますようお願い申し上げます。
サッカーW杯の熱狂が続いています。韓国チームの戦い振りには、日本人が消失してしまった精神や国家に対する心の持ち方を思い起こさせてくれる。現在の日本は景気の低迷にあえぐ中で、国家どころではない、他人どころではない、まして、目先の現実にのみ追われ、我が子への教育や躾どころではない、という寂しい国になりつつあります。そのくせ、不況だ不景気だと言っておきながら、子供には何ひとつ家計に役立つ事をさせず、又教えない。むしろ贅沢三昧をさせている。近頃では中学生は勿論、小学生にまでも携帯電話を持たせている。高校生大学生に到っては100%の割合で携帯電話を持っているわけだが、この電話料金はほとんど親が支払っていると思う。その親が支払っている電話代を感謝一つせずに、電車内や町でベラベラ無駄話をしている学生達に、学校、大学で学んでいるという姿勢や心がけは見出せない。このままでは、スポーツだけでなく、経済も政治も、国民資質も、世界に通用しない弱い日本となる日が近づいている事に早く気づいて欲しい。今日、6月24日は私の誕生日です。今年88歳(大正4年7月生)の米寿を迎える母に感謝の気持ちを携帯電話で済ましてしまった便利性はあるが、やはり、ペンを取って生んで頂きありがとう御座いましたと手紙を書くつもりです。
写真・・・・・米寿を迎える母と私の孫
サッカーワールドカップが閉幕した。決勝戦はGKカーンを中心に鉄壁な守りのドイツと、今大会得点王、天才ロナウドをようするブラジルとの戦いとなった。結果は抜群の技術力、抜群の個人技を持ったブラジルが優勝した。しかし、国と国の面子と代表選手たちの命をかけたW杯の戦いは凄まじいものだった。最近、日本人がこれほど国や国家と言うものを見せ付けられた事は無かったのではないだろうか。対戦前のセレモニーでは必ず国歌斉唱があり、選手は勿論サポーター一丸で国歌を歌う。毎試合前、小学生が選手の手を取りグランド(ピッチ)に現れて、両国の国歌が歌われる様子がテレビで流れるわけだが、先導役の日本人小学生は国歌の意義や重要性などは全く教えられていない。まして、日本では国歌は歌ってはいけないもののように学校で教えられているのだから、自分がエスコートした外国人選手が自国の国歌を誇らしく大声で歌う姿を見てけげんそうな顔をしていた。この時初めて、他国の国民は国を思う純粋な心があり、日本人にはそれがなかった事に気づかねばならない。サッカーw杯は疑似戦争と言われるほど、世界各国の国民が熱狂し国意識を発揚させる。そんな中にあって、サッカーフェステバル程度の意識しかなかった日本は少し恥ずかしい国になってしまったと言える。しかし、Jリーグもあまり知らない私ですが、イングランドのベッカム、ブラジルのロナウド、ドイツのカーン、フランス、ジダンなど世界超一流選手の力の限り戦った直向なプレーは一生涯記憶に残る事だろう。今回のw杯は素晴らしい感動をしました。
写真・・・決勝戦終了後のカーン、全てを出し尽くし守り通した満足感と敗戦の屈辱感。こんなカーンのプレーの一つ一つに感動と勇気をもらった。
蝉の声もにぎわしく、暑さを一段とつのらせて、むし暑い毎日が続きます。皆様に、心から暑中のお見舞いを申し上げます。さて、先週は「川西勝久のひとりごと」を更新できなくて申し訳ありませんでした。今月7月から、新入社員を迎え入れる事が出来、その研修に昼夜追われ、ひとりごとのネタとなる物が何も浮ばなかったためであります。その間には、四條畷市の市幹部による学校給食センター建設業者に、入札情報を漏らす事件が発覚し関係者が逮捕されました。最近は、外務省や防衛庁の不祥事、国会議員の政策秘書給与搾取事件等々、「役人は何をやっとるのか。」「政治家よしっかりせよ。」と叫びたくなるほど残念な問題が多いわけですが、気が付けば、私の身近なところ、四條畷市でも市の幹部が逮捕されるような事件が起こっているわけです。この給食センターの建設には、反対意見のほうが多く、この財政難な時になぜ作るのか。児童数も減少する一方なのに、新しい給食センターが本当に必要なのか。他市では学校給食の廃止が行われている今日にあって何故。・・・・いろいろ言われた中で、強行建設されたのですが、「ああ、やっぱり」これで納得できました。また、四條畷市の旧浄水場跡地に、し尿処理施設の建設計画に基づき、山里計画を推進し、江戸時代末期の茅葺民家を滋賀県から移築したが、これまた、建築基準法に触れる事となり、茅葺の上にブリキをかぶせ、ブリキ屋根にしてしまった。しめて6千万円の損失となったのだが、これも行政の怠慢。近年では市町村合併が勧められているが、そんな事よりもまず、四條畷市が体質の改善をしない限り、合併などをしても市民にとって何にもならないことを知ってほしい。
写真・・・・山里計画で無責任な計画の結果、茅葺の民家のはずが、ブリキ屋根に変身。
子どもに夢を語れる大人になろう(2002.7,22)
過日(7月17日)四條畷青年会議所の公開例会で、伏見工業高校ラグビー部総監督である山口良治先生の講演会が開催されました。四條畷市民総合センターはほぼ満席の600人近い人たちが参加し、私も出席してきました。先生の人気は過去何回か放映されたスクールウォーズやNHKでこれまた何回か再放送されたプロジェクトXでよく知られており、会場は、あの泣き虫先生に会えるという期待がうずまく中、久しぶりに緊張感が張り詰めた清々しい雰囲気のもと開演されました。スクールウォーズの主題歌「ヒーロー」の曲で登壇された先生は、開口一番「皆さんは子供達に夢を語ってやれますか」「特に親や学校の先生はどんな夢を子供に与えられますか」と問い掛けられました。現在ほど夢を抱かない時代はなく、夢を実現するための努力もしなくなった時代はありません。子供のみならず、むしろ大人の方がそうなってしまいました。見渡せば今日ほど無気力で、姑息でいい加減な時代はないのです。学校の先生しかり、政治家しかりです。山口先生の「夢を与えていますか」。この一言に、はっとした人は多いと思うのです。そして、はっとするだけでは何にもなりません。はっとしたら、じゃぁ何をするのか、どう実践するのかが重要なのです。積極的に子供達と交わり関り合って、子供には色々な事、特に辛い事、辛抱してやり遂げる気力や勇気というものを感じさせてあげる。その事がその子供が生きて行く上で最も重要な事であるからです。学校や家庭で算数や英語を学習し教える事も大切ではあるが、それ以上に生きる力、生きる目的を教える、感じさせる事こそが、本当の教育なのだと。貴方のお子さんは活き活きとして、目はやさしくキラキラと輝いていますか。山口先生と久しぶりの再会となった私は、教育談義に興奮してなかなか眠れませんでした。
写真・・・・久しぶりに再会を楽しむ山口良治先生と私
9月の市長選挙は新生畷の出発の機会に(2002,7,31)
四條畷市学校給食センター新築工事をめぐる競売入札妨害事件は、森本稔四條畷市長(辞意表明)の逮捕という最悪の事態となった。建設業者からの受注見返りに対する謝礼金300万円受け取りに対しての贈収賄容疑である。今回の事態は、8期30年という余りにも長すぎる市政担当の結果であり、選出してきた市民にも責任はないとは言えない。森本市長の辞任で9月には市長選挙になるのだが、全てを一新し、長期政権のうみを徹底的に出し切ってもらいたい。それにしてもこのマンネリ化し、ぬるま湯にたっぷりと浸かり、ふやけきってしまった行政の体質は一朝一夕には変わらないだろう。長期政権のつけである莫大な赤字財政、たるみきってしまった行政体質及び学校教育行政の改革、そして、市町村合併の問題等々、問題点は山積する。秋に予定される市長選挙は、同一市長の多選を反省し、しがらみや、馴れ合いを断ち切って、崇高な理念のもと、健全な四條畷市の将来を明確に描き、市民一丸となって真の四條畷市改革を発揚する絶好の機会にしなくてはいけない。
写真・・・・・問題の四條畷給食センター
盛り上がった丁丁祭り(2002.8.11)
今年の夏は、気力体力ともに萎えさせてしまう程の激暑です。本当に暑い毎日ですね。そんな中、全国各地では夏祭りや盆踊りが盛んに行われ、夏の甲子園高校野球も始まりました。
我が町四條畷市二丁通町も、今月の2日〜3日に夏祭り盆踊り大会があり、多くの町民が楽しく集う事が出来ました。例年2日間の盆踊りで、「二丁通町盆踊り大会」という名前でしたが、今年から「丁丁(ちょうちん)祭り」という新しい名前て開催されました。1日目はプロ歌手の歌謡ショーとカラオケ大会。2日目は子供のゲーム大会と盆踊り。屋外ステージを設置して、歌を聞きながら冷たい生ビールを飲む。当然、焼き鳥やフランクフルトなどのおつまみを販売する手作り模擬店も開店。ヨーヨー釣りに、スーパーボールすくいなど、子供の楽しめるゲームコーナーも多数開店しました。これらは全て町民の手作りで、ボランティア、大いに盛り上がりました。中でも中学生の参加と模擬店などへの応援は祭りを一層活気付け盛り上げてくれました。これほど地域の人が一丸となった夏祭りは過去にもなかったように思います。今後はさらに連携を強めて、コミュニケーションをはかり、地域の親密度と活力が生じるような丁丁祭りを企画していきたいと思います。
写真・・・・・中学生が大活躍した丁丁祭り夜店風景
「てうちうどん」講習会大成功(2002.8.21)
お盆が過ぎて朝晩の気温が一気に低くなり秋を感じるようになりました。新米の収穫も南から順に北上しています。現在当店には鹿児島、宮崎、徳島県などの新米を入荷し販売していますが、本年産は味もよく出来具合は上でしょう。これからは米所北陸地方(9月)・東北地方(10月)の収穫期を控えて出来栄えが期待されます。実り多い秋になりますように祈っています。さて、昨日(8月20日)手造り「手打ちうどん」の講習会を開催しました。講師に「てうちうどんさぬき(四條畷市岡山東2丁目)」の店主先山耕資さんの指導にて、手打ちうどん作りに挑戦し、美味しい手造りうどんが出来上がり皆一様に感動しました。中でも良かった事は、小学生4人の参加があり、大人と一緒に料理作りが出来た事でしょうか。最近では手造りの料理。日本料理等を倦厭する傾向にあり、コンビニやファーストフードにて出来合いの物で食事を済ます傾向が主流になった。当然、食事を工夫して作ると言うような事が段々少なくなる状況下にあって、参加した小学生のエプロン姿は大変頼もしく魅力的でした。今回は現在、日本の食事情、食文化の変化が著しい中で、日本本来の家庭料理や食事を通じて真の家族愛や物を大切にする、自然や人への敬愛の精神を取り戻す機会作りになればと企画したのですが、大成功でした。先山耕資さぬき店主には心から感謝し、ご参加いただきました皆様にも厚くお礼申し上げます。尚美味しいうどんを毎日打って食べさせてくれる「手打ちうどん・さぬき」さんは、四條畷市のJR学研都市線「忍ヶ丘駅」前で営業しています(072-878-0679)。一度立ち寄って頂ければ幸甚です。
写真・・・・・手打ちうどんに初挑戦する小学生
出直し四條畷市長選挙に期待する(2002.9.2)
今日から学校は2学期が始まった。長い夏休みを子供達は満喫しただろうか。今年の夏は各地で最高気温を記録するなど異常な暑さが続き、今ごろになって夏バテから体調を壊している人も多いことと思う。朝晩、漸く涼しくなって来るこれからは、夜はぐっすり睡眠をとって夏の疲れを取らないといけない。
さて、我が町四條畷市は、汚職事件で逮捕された森本稔前市長の辞職にともなう市長選挙が1日告示され選挙戦が始まった。4名が立候補したが、戦況はまだ横一線の状態で、突出している者は今のところいない。ただ言える事は、今回の選挙に至る原因は何かを認識し、森本市政30年での歪み、なれあい、を一切打破できるクリーンで勇敢有能なリーダーを選出する事であり、候補者にはもっと具体的な政策を論じて市民にPRしてもらいたい。財政建て直しの方策を初め、永年の懸案だった焼却炉問題の解決策、間近にせまる市町村合併問題の考え方。そして、学校教育や地域教育のあり方、少子高齢化に伴う未来型福祉への取り組みや考え方などである。政治の基本は「信なくんば立たず」である。明らかになった前市政の不正の数々から政治家、市民双方が反省し、市民が活き活きと暮らせる心豊かな四條畷市の再生を期待したい。
四條畷市長に田中夏木氏が当選(2002.9.9)
9月8日(日)四條畷市長選挙と市議会議員補欠選挙が行われた。今回の市長選挙は、収賄で逮捕辞職した森本前市長による、8期30年の長期政権からなる不正腐敗癒着体質と、其れに甘んじてきた議会や職員の怠慢行政を打破払拭するための大切な選挙であり、30年にしてようやく市長が変り、四條畷市を変えるという大きな期待のかかった選挙でもありました。投票の結果は、田中夏木氏が2位の扇谷昭氏に僅か35票差で当選した。双方がほぼ同数で勝敗を分けたが、永年、市政を担おうと思いつづけた執念の差が、僅かであるが得票差となって、田中氏への勝利と結びついたのであろうか。何れにせよ、市民は健全で住みよく力強い四條畷を希望している。財政健全化政策を初め、間近に迫る市町村合併の問題、学校教育と地域教育力の増進政策、地域商工業政策など、どれをとっても大きく荒廃後退してしまっている四条畷市を再生再建させねばなりません。田中夏木新四條畷市長には勇気と情熱をもって取り組んでいただき、大きな成果を成し得ますように期待しています。
写真・・・・・飯盛山頂から四條畷を望む
間違った米への認識(2002.9.23)
全国各地で米の収穫を迎えた。今年は比較的出来具合も良く、味その他品質的にも良と言うことが出来る。近年、九州四国の一部で、7月中旬頃に収穫出来る早期米があり、新米としてはお盆前に販売出来るが、やはり秋を迎えてからの新米の方が、粘りやこく、味や品質は格段に優れている。これから収穫する北陸、東北を初め日本全国各地での良好な収穫に期待したい。過日、読売テレビの、「おもいッきりテレビ」と言う番組で「偽装表示や残留農薬・・・食の安全は自分で守る」と銘打ち、米の品質表示の見方や、信頼できる米の購入方法、又、野菜の残留農薬の取り除き方や見分け方などを解説していたので、興味を持って見ていた。この番組は、みのもんた氏が司会をしている人気番組で、番組で放映された事がすぐにブームになるほど人気がある。米に関して言えば、以前、胚芽精米・発芽玄米などの栄養価が取り上げられ、その都度それらの商品が売り切れになるくらい話題になった。その番組で、今回取り上げていた事は、米袋表示方法の改正から、中身は表示通りに本物かどうかの見分け方を、大学の先生がもっともらしく解説をしていた。その中の1つに、「新米か古米かを見分けるには、袋に表示している生産年を見て、14年産とあれば新米ですが、業者によっては古米を混米しても表示は新米と書いているから米粒をよくチエックしなければならない。その時、本当の新米は透明感のある透き通ったような米が新米です。白く濁った米は古米ですから、そのような物が混ざった物は購入しないように。」と、注意を促していた。その大学の学者さんの真面目ぶった回答には唖然とした。なんと間違った事を平然と公共の電波で流すのかと怒りを覚えた。古米が白く濁ったような白い米であれば、店頭にある13年産古米は皆真っ白の米ばかり。こんな事があり得る筈も在りません。この白く濁ったような白い米は、古米でも新米でも有していて、要するに生育段階にあって気象的条件や、環境状態、田質の条件等等によって生じるものであり、古米は白いとはいえないのであります。(つづく)
写真・・・・・大和高原米の収穫
間違った米への認識(2)(2002.9.30)
前回より続いて、読売テレビの、「おもいッきりテレビ」で放送した「偽装表示や残留農薬・・・食の安全は自分で守る」という番組の中で、米の品質表示の見方や、信頼できる米の購入方法、又、野菜の残留農薬の取り除き方や見分け方などを解説していたが、よく聞いていると間違いが多い。現在は全国各地で平成14年産新米が収穫期を迎え、美味しい新米が食卓に上がって来ましたが、その販売されている米が、新米100%か、古米が混ぜられているのかを知る方法として、大学の先生が説明した、「新米は透明感があり、古米はもち米のように白い米」。だから古米が混米されていると白い米が点々とあると言うものでした。これは大きな間違いであると思います。白い米が出来る要因としていくつか考えられますが、一番多い原因は、気象条件からなることが多い。高温障害と言われる、暑すぎて稲穂の生育に障害を起すときや、冷夏によって、発育が未熟な場合等等である。このような時は、米の中が白く濁るしん白や、正粒にならないで白くなってしまうものです。米所新潟でも、高級銘柄米を生産していても、気候によってこのような米が出来るのです。したがって白い米が混ざっていても、新米は新米なのです。せっかく、月日をかけ一生懸命に生産された米でも自然にはかないません。この番組の途中で、大学教授の認識は間違っていますよ。と、テレビ局に電話を入れました。対応したテレビ局の女性は、丁寧にその理由を聞いて、「そうですか。貴重なご指摘を頂きありがとうございます。さっそく訂正いたします。」と言って電話を切った。15分ぐらい後に、みのもんた氏から、「先ほどの白い米の件は、生産条件によって白い米が出来る場合があり、白い米は古米であると言う事は間違いでした。」と、訂正があった。もう少し詳しく訂正をしてくれれば言う事なしであったが、よく間違いを認めて訂正してくれたと思う。そして、その謙虚な対応ぶりに感謝したい。
写真・・・・・奈良県宇陀郡榛原の稲刈り
実りへの感謝(2002.10.10)
我が町四條畷も、黄金色に実った稲の収穫が最盛期を迎え、至る所で稲刈り風景が見られる。私の事務所からも稲刈りの景色が真下に見え、甘くて青臭い藁の匂いが、秋晴れの心地よい風に乗って運ばれて来る。事務所の東側は一面田圃で、四季折々の風情が楽しめる。春先には黒い土ばかりの田圃に薄緑色の草の芽が吹き出し一早く春を感じる。5月には苗代が作られ、田圃に水が入り、蛙が鳴きだす。そして田植えが終わり、弱々しい稲の苗が水面に映る。そのうちに段々と苗が生長し、緑一面の田圃となる。そして、夏が過ぎると見事に黄金色に変わっていく。毎年毎年、同じ光景を眺めながら、季節の移ろいを楽しみ、収穫に感謝する。今年も豊作のようだ。
最近は食事情も大きく変わり、季節感溢れる食生活は難しい。野菜や果物にしても、ハウス物や輸入物が多くなり一年を通じて食卓にあがる。野菜物だけではなく、魚介類にしてそうである。輸入物、冷凍物、養殖物等等である。こうなると、いつでも何処でも美味しい食材は有って当り前。自然の恵みとしての感謝を忘れ、粗末にする。今や外食産業は大型化し生き残りをかけて熾烈な競争を展開しているが、競争は全て価格競争となり、格安のハンバーガーや牛丼。にぎり寿司からラーメン、うどん焼肉に至り、弁当までもそうである。安いことに越した事はないが、安さの分だけ、食に対する感謝や大切にしようとする心が消失してしまう。この精神が一般の家庭生活までも汚染させる。今や、食に対する感謝や有り難さの念は年々薄れて行くような気がする。私は毎年米の収穫期になると、自然の恵みに対して、また、生産者や四季のある日本に対しても感謝の気持ちが溢れてくる。これも、周りに自然が残っているからだろうか。本当にありがたいと思う。さあ、今年も美味しい新米をどうぞ。
写真・・・・・事務所から見れる収穫風景
寂しい時代(2002.10.14)
家庭形態が核家族化と言われ始めて随分たった今日、さらに少子高齢化の波とともに、もはや家庭の機能、形態を有しなくなり、地域社会のありようも大きな変化が生じて来ているように感じる。独り暮らしの人も増加傾向にある中、親子で生活をしていても、各自の生活様態はプライベートを尊重?するためか、各自のスケジュール中心の生活がなされる。家では各個室を持ち、冷暖房は常識。その上テレビやオーデオを完備していて、個の生活が営まれる。2〜30年前の家庭生活形態を今や見ることは出来ない。夕食など家族そろってとり、テレビが一家に1台しかない時代は、家庭の団欒が保たれ、家族の絆を深め、家庭愛を促進していた。そして、躾や、人との関り方、思いやりなど家庭教育も立派に出来ていた。これらは今や無用な物となり、個を尊重し、他人の事は干渉もしないしされたくもない。現在では携帯電話の普及により、若い人たちのメールのやり取りが、個と個を結ぶ唯一のものであるようだ。とても寂しい時代となってしまった。犬や猫が異常に可愛がられるペットブームは今の寂しい時代を象徴しているのかもしれない。ついでに、ペットブームを反映してか犬を飼う人が多い。私の住んでいるところも自然がまだ残っていて、朝晩、犬の散歩コースとなっている。そんな中、残念な事に犬の糞の後始末が出来ない人が多すぎる。非常識にも家の前に放置された犬の糞を、毎朝始末をしてから仕事にかからねばならない。血統証の付いた立派な犬を飼いながら、かたや他人の迷惑など気にもかけない人が多くなったのも現代を象徴しています。
写真・・・・・家の前の道。毎朝犬の糞があちこちで見られる。
第30回耕心塾月例講座終わる(2002.10.21)
毎月第3金曜日に開講している耕心塾は今月18日の講座で第30回目となった。熱心な聴講者も顔なじみとなり、楽しい雰囲気の中で毎回開催出来ました。毎回、仮名論語と孝経の素読をしてから講義に入りますが、素読は回を重ねるごとに大きな声となり、いつも感動を覚えます。今月の講義は築山先生の「南洲翁遺訓」の解説。櫻井先生の「日本古来のものがたり(9)」でしたが、両先生の深い経験や見識からなる講話は、受講者にとって様々な指針となり、明日への糧となり活力となります。全てにおかしくなった現在、月に一度ぐらいは真剣に我が自身を振返り、心学をなさねばいけません。人間としての生きる目的は何か、どうあらねばならないのか、自身を内省し、深い真理を得たり気づかせてくれる時間を持つ。耕心塾の寸時がその一端に貢献出来ればと願っています。また、耕心塾のもう一つの特徴は、講義終了後に行う「青春の居酒屋」です。講師の先生を囲んでの懇親会でありますが、日常の社会問題から政治経済の話、家庭問題や子供に関することなど、身近なことまでも和気藹々と話しあっています。回を重ねるたびに楽しさも広がって行っていますし、受講生たちの人的魅力も確実に現れています。今後も素晴らしい先生方のお力添えを得て、質素であっても確実な人的修養の場として、その責任を果して行きたいと思います。耕心塾は毎月第3金曜日午後7時30分開講です。お気軽にご参加ください。
写真・・・・・講義終了後の「青春の居酒屋」風景。私にとって一番楽しい一時でもある。
長寿国家NO1の悩み(2002.11,4)
川西勝久のひとりごとは毎週月曜日に更新しますと言いながら先週も更新できませんでした。毎日毎日更新しなければと思うのですが、仕事や雑用に追われ、落ち着いてパソコンに向かう時間がありませんでした。申し訳ありません。今後も出来るだけ毎週月曜日の更新に努めますので、どうぞお許しの程お願い申し上げます。さて、日本人の平均寿命が前回に引き続き世界一となった。WHO(世界保健機関)は日本の平均寿命(2001年度)は81,4歳で世界一の長寿国となり、障害や寝たきりの期間を差し引いた「健康寿命」でも73,6歳でトップであると報告した。平均寿命が80歳をこえた国は、日本を筆頭にスイス、オーストラリア、スウェーデンなど6ヶ国。反対に、アフリカ諸国は、シエラレオネの34,2歳を筆頭にアンゴラなど7ヶ国が40歳以下で、2倍以上の開きとなった。このことは、アフリカにおけるエイズなどの感染症や、内戦の深刻さなどの原因が挙げられる。日本人の平均寿命は、男性77,9歳、女性84,7歳。「健康寿命」は男性71,4歳、女性75,8歳といずれも女性優位だった。それにしてもすごい事です。平均寿命の81歳以上も勿論のこと、健康寿命が73歳を超えている点は驚きというか、まさにすごい事であると思います。日本人が「健康で長生き」を唱え、快適な生活や健康志向を中心に研究や改善が進められた結果であると思います。反面、現在の日本は、少子高齢化の波が押し寄せています。逆ピラミッド型になっていく人口問題からすると、喜んでばかりはいられない現状に少し複雑な心境であります。お年寄りを大切に、親を大切にと教えられた私達でありますが、それを支える若い人が減少傾向にあることは、今一度将来に向けて若い人たちの夢のある、生きがいのある国家や社会を造りらないといけません。いまや将来に不安だらけで結婚は勿論のこと、子供をもうけるなど出来ないと真剣に思う若者が多くなったことも、言葉は悪いが、長生きしすぎる長寿国家ゆえの反動、弊害であろうか。
中学生の職業体験学習をうけて(2002.11.11)
最近は、青少年の「ゆとりある心の教育」が叫ばれる中、小中学校では奉仕活動や体験学習が盛んに実施されている。農村部では農業体験学習が盛んであり、野菜や米作りなど年間を通して学習する。生産する楽しみや苦労。いたわりの心、天候など自然の厳しさや収穫に対する喜び、感謝など、通常の授業では味わう事の出来ない貴重なものである。都市部では、職業体験学習を取り入れる学校が多く、学校周辺の様々な職場に出かけ、実際に仕事をする事によって労働とはどのような事かを体験するものである。我が四條畷市内の中学校も職業体験学習を取り入れているため、体験学習生を受け入れて欲しいと要請があり、少し不安はあっが引き受ける事にした。職業体験学習には、中学2年生の男子生徒4人がやって来た(10月29・30日、朝9時から午後3時半まで)。とてもおとなしい真面目な生徒さんで、掃除から精米、袋詰、配達などを一応させてみた。反省会で、「家で何か決めてお手伝いはしていますか。」と問うと、「何もしていません。」と答え、それでは「学校では便所掃除や廊下の掃除などはするのか」と問うと、それも「有りません」と答えた。「職業体験で一番したいことは」と聞くと、「一生懸命働いてみたい」と言う。要は、現在の子供達のほとんどは、家でも学校でも、勉強が第一でクラブ活動や塾以外の時間でも勉強以外のことは何もしないしさせないのである。子供は子供の役割が在り、家事や野良仕事の手伝いをした私達の時代とは全く違うのである。手伝いの中から、生き方や知恵を学んだ時代はもうないのである。例えば自分の布団は毎日たたむ。月に1度は必ずトイレ掃除をする。お父さんの靴は毎週磨くなど決めて実行する。これも働く事には相違ないよと教えたら、皆、目が輝いていた。みんな家族の一員として役立ちたい、そんなけなげな精神は持っているのに、何も教えない現代の家庭や学校教育が日本を、日本人を不幸にして行く。家でも学校でも、どしどし仕事を与えるべきではないだろうか。来てくれた生徒さんには感謝したい。
写真・・・・・体験学習に来た生徒さん
成人教学研修所の社稷祭にお参りして(2002.11.25)
11月23日に(財)成人教学研修所(四條畷市逢坂)において恒例の社稷祭が盛大に行われた。有源台といわれる広場には米や野菜、酒をはじめ各種の製品がお供えされ、天地の恵み、神の恵みに感謝し、厳かに神事が行われました。その後、日本文化研究所々長の所功(ところいさお)先生から「社稷の本義」と題し、食物に対する心のあり方、持ち方についての講演があり、深く感動をいたしました。所先生曰く、現在の日本人ほど食物を大切にしない、又感謝しない時代はないと。「日本人の食生活は、半世紀前に較べたら、驚くほど贅沢になった。しかし、それで心は豊かになったかと言えば、むしろ逆に貧しくなり下がったのではないか。」と述べられている。また、私達の日常にあって、食事をする時に、「いただきますと言っていますか?」と問われて、ドキっとした。人間以外の動物は餌を与えられると、すぐさま周りに目もくれないで食物を口に入れガツガツ食べる。私たちは食物と書いて、くいものと読まず、たべものと読んでいます。たべものとは、「たぶ」、「賜ぶ」からなり、たまわりものなのである。目上の人から賜わり物があれば、「いただきます」と言います。要するに、食物は、天地自然の賜わり物、神々からの賜わり物なのです。これほど食べ物に事欠かない現代であっても、食べ物を頂く時には必ず感謝の心で「いただきます」と言わないと、犬や猫、その他の動物と何ら変わりが無い事になってしまします。私達人間が食べる物は餌ではないのです。所先生は、たべものをいただく心。家庭の躾が日本人に豊かさを取り戻す手懸りになるのではと言われました。どうぞ食事の前には「いただきます」終われば「ごちそう様でした」と言うようにしましょう。
写真・・・・厳かに執り行われた平成14年度(財)成人教学研修所の社稷祭
女性専用車両運行(2002.12.2)
今日からJR西日本で「女性専用車」なる女性専用車両が設けられ運行される。利用する時間帯は、平日の始発から午前9時までと午後5時から9時までとなっている。JRによれば「より快適な車内づくり」という事で、ご理解とご協力をお願いしますと、説明している。なお、この車両には、小学生までの男の子は乗れることになっている。しかし、なぜだかすっきりとしない。「なんで!」と言う感が強い。なんで今になって女性専用車が必要なのか?最近は女性上位時代。男は肩身が狭くなり一層弱ってしまう。別に強くなる必要はないが、男女互い、それぞれの特性を尊重しあい共存しなくてはならないはずだが、電車までも男女の区切りをしなくてはならない社会には賛成できないし淋しい気がする。男女平等社会が標榜され女性進出が著しい中、さらに「ジェンダーフリー」なる過激な文化破壊思想も台頭して来た。なぜか男女の関係が間違って認識され、間違った女性への諂い社会が、日本の将来に災いとならない様に願う。
「つもりちがい十カ条」(2002.12.9)
ある新聞のコラム欄に「つもりちがい十カ条」なる文が載っていた。何の事かと思い、読み進むに連れて、「そうや、思い違い、つもり違い、まったくそのとおりや。」と感動した。日常の言動にあって、自分自身を見つめ直すと、まったく思い違って、と言うか、見栄を張り、ついつい知ってるつもりになり、謙虚に学ぼうともしなくなる。自身いつしか謙虚さも忘れ、自分はもう完成した立派な人間であるかの如く生きている事の勘違いを気付かされました。当然ご存知の方も多いとは思いますが、その「つもりちがい十カ条」なるものを原文そのまま書き添えます。参考にして下さい。
高いつもりで低いのが教養。 低いつもりで高いのが気位。
深いつもりで浅いのが知識。 浅いつもりで深いのが欲望。
厚いつもりで薄いのが人情。 薄いつもりで厚いのが面皮。
強いつもりで弱いのが根性。 弱いつもりで強いのが自我。
多いつもりで少ないのが分別。 少ないつもりで多いのが無駄。
最後に「そのつもりで頑張りましょう。」と書いてありました。以上のことをいつも思い、まったく逆になるよう心がけたいものです。
米の消費量から思うこと(2002.12,16)
日本人の米消費量が年々減少している。現在、日本人一人当たりの平均米消費量は、年間52kgと言われる。米が主食と言われていた時代からすると半減しているが、何処でも食べる物が溢れている現代にあっては止むを得ない事か。しかし、食糧や物が溢れ返っている現状の裏では、深刻な問題も多い。
第一に40%にも満たない食糧の自給率の問題。金さえあれば世界の食糧が手に入ると思い込んでいる日本人。だが、世界の人口が70億、80億に達しようとしている時、世界の食糧や燃料は金では買えなくなる時が必ず来る。今、食糧自給率を上げる農業政策はとられていない。唯一自給率を達成している米でさえ、間違った減反政策が進められて来た。これから先も、益々米生産や消費は下がっていく。政治的な問題などで食糧が輸入出来なくなったらと思うとゾーっとする。年々世界の食糧が不足して行く時代、無策な農政に不安と怒りを覚える。
次に、日本人の米離れからなる健康面にも影響が顕著に現れてきた。心臓病を初め生活習慣病と言われている健康障害の増加。しかも低年齢化している現状に危機感を覚える。かって穀物消費よりも肉類消費に偏っていたアメリカは、健康問題が大きな社会問題となり、食生活改善に国を挙げて取り組んで来た。その成果が出始め、穀物消費の回復と同時に、心疾患による死亡が減ってきたということである。アメリカの米の消費量は、30年前の4倍に増えた。皮肉な事に日本製の電気炊飯器を購入する家庭が急増していると言う。米を食べなくなった日本人。朝食を取らなくなった日本人。このことが近い将来どのような形で日本に影響を及ぼすのか、何か怖い物を感じる。
写真・・・・収穫を終えた田圃風景(福島県須賀川)
日本食を見直して(2002.12,27)
前回のひとりごとで、日本人の米消費量が半減し、健康についても影響が出て来たと述べたが、米離れによる食の変化、粒食から粉食への移行によって肥満が増えている点が懸念される。近年若い人達が、ハンバーガーやポテトを片手に清涼飲料水をラッパ飲みしている光景をよく見るが、この様な食事スタイルが肥満の原因になっているらしい。
新聞報道によると、アメリカのマクドナルドが1965年の上場以来初の赤字決算となり、日本のマクドナルドも29年ぶりの赤字で176店を閉鎖する。背景には経済不況が原因にあるが、同時に健康志向の高まりがあると言う。アメリカでは、122kgにも太ったのはハンバーガーのせいだとしてマクドナルドを訴えた人も出てくる始末である。
マクドナルドに限らず、日本人も食生活の変化から、この30年間に肥満児が3倍になり、特に男子でその傾向が強いと言われる。肥満には高血圧症になる心配もあり、糖尿病や心臓病などの生活習慣病予備軍となることからよほど注意が必要である。
現在、欧米で日本食が注目され、ご飯食も増加をしている。日本ではその逆のファーストフード志向が若者世代に浸透してきている。この事が若者の健康と日本の将来をダメにしてしまう事にはならないかと心配している。味噌汁、豆腐に野菜のあえたもの、芋や豆の煮たもの、そして美味しいご飯は日本人にあって無くてはならないもの。どうか今一度、日本食の良さや重要性を再認識して、より一層健康に生きたいものです。
今年一年間、拙い駄文をお読み戴き、またジャパンラオフードをご支援お引き立て戴きましたこと、心から御礼申し上げます。新年は元旦に「川西勝久のひとりごと」を元気よくスタートします。来年も宜しくお願い申し上げます。
どうぞ良いお年をお迎えください。ありがとう御座いました。
写真・・・・・福島県須賀川で