「川西勝久のひとりごと」のバックナンバーです |
2002.1.1 作成
節 分(2001.2.3)
梅の鉢植えが白い花びらを見せ始め、福寿草のつぼみが地面から顔を出し始めている。
もう、春がそこまでやってきています。もうすぐ節分ですね。もともと節分とは、立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前日をいい、季節の分かれ目となる日のことです。
現在、節分としての行事が残るのは立春の前日(2月3日)だけとなります。
節分には、イワシの頭をひいらぎの枝に刺して、玄関や軒下に飾る風習があります。これは節分の夜に鬼が出て、女、子どもを食べに来るので、鬼がイワシの臭いを嫌うという言い伝えと、ひいらぎのトゲが鬼の目を刺すため、鬼よけにしたと言われます。
私の田舎(岐阜県飛騨ぎふけんひだ地方)では、これに家々独自の鬼の絵を書いた短冊をつけ、一緒に飾り付けます。子どもの頃、夜になるとこの鬼の短冊を盗りに行き、翌日学校で、とってきた短冊の枚数や、特徴の有る鬼の絵を見せ合って、自慢大会をしたものであります。いつも学校に遅刻寸前で来る者でも、この日は自慢の鬼の短冊を見せる為に、一番乗りという者も居るほどでありました。又、邪気を払い厄を落とすため、節分の日には追儺(ついな)《昔、宮中で大晦日の夜、悪鬼を追い払った儀式》の、行事がありました。現在の豆まきです。豆まきは、一家の主人や年男(その年の干支に当たる人)が、煎り豆をまいて、無病息災、豊作を祈りました。 ちなみに、私の子どもの頃は、各部屋ごとに豆をまき、裏の勝手口、そして最後には玄関の戸を開けて、大声で「福は内、福は内、鬼は外」と言って、豆を投げつけるようにしてまき、戸をピシャッと閉めました。早く閉めないと鬼が入るからです。
節分の日には、どこの家でも小豆ごはんであり、焼きイワシの匂いがあちこちから匂ってきました。
そんな行事とともに春の訪れを感じていました。
これから卒業と入学のシーズンを迎える。毎年、地元の小中学校の卒業式や入学式に出席していつも失望する。来賓のほとんどは礼服を着、快い緊張を感じて式に臨むが、式が始まると「あれ」と思う。全く緊張感が無い。それは式典の形というものが無く、式典の礼や作法が無視されているからであろう。なぜ式を行うのか、何の為の式なのかをつきつめていけば、おのずと結論が出るはずだが。
現在、学校の先生は、整然として統一された集団行動をさせようとしない。放任主義などと言って、自分で考える能力を引き出す為とか、個性を尊重するとか、自立心を養うとか色々と言う。また、統制された集団行動は軍国主義につながるとまで言う。聞こえは善いが、どうやら集団を統制する能力や指導力が無いことの言い訳でしかない。
小学校に入学する子どもと親は、「いよいよ小学校に入学だ」という喜びと、「ちゃんとやれるのか」という不安、そして「健康で立派に成長して欲しい」というような期待感を抱いてその日に臨む。ところが学校はその夢や期待を裏切ってしまう。本来は、厳かな式典での緊張感一杯の中、新入生は大きな希望と夢、そして清らかな意気込みを新たにするはず。が、その気概も希望も無くしてしまう。だらだらとした締まりの無い式典だからである。
卒業式もしかり。「蛍の光」「仰げば尊し」を斉唱するときなど、卒業生は、お世話になった先生への恩やその温かさ、偉大さを大いに感じて、尊敬の念として態度に表れる。先生は、立派に成長した教え子の晴れ姿に目を細め、共に涙する。これが以前の卒業式。しかし現在の卒業式は私語も多く、終始ザワザワして落ち着かない。司会役の先生が「国歌斉唱。一同起立。」と言っても、座ったままの先生もいて、立つべきか、座っているべきなのか分からず、もじもじする生徒たち。式典の意義や目的も無い形式だけの式となる。先生には式典という節目節目を大切にしてもらい、もっと純粋になってもらいたい。そして子どもたちに本当の感動や真の喜び、ロマンを与えて欲しいといつも思うのだが・・・・・・。
結局、式典の大切さを理解していない現在の学校教育で育った子どもたちに、厳粛な成人式をやれと言ってもしょせんは無理というもの。しかし、人生は「礼に始まり、礼に終わる」と言われるとおり、礼儀、作法を無視しての、真の人としての成長は考えられない。
論語に
「子曰わく、義以って質と為し、禮以って之を行ない、孫以って之を出だし、信以って之を成す。君子なるかな」
(先生が言われた。道義を本とし、礼によって行ない、謙遜してものを言い、真心込めて事を成し遂げる、このような人が立派な人物と言えるねぇ。) とある。
入学式は入学する喜びと、入学できた感謝の心や気持ちを気付かせてやる。卒業式は、共に学んだ友達や、育ててくれた先生に感謝する心と、尊敬の心、そして自分もいつかは先生のような立派な人に成りたい。そんな希望とロマンを抱かせるような、感動ある式典を望むものだ。
礼を重んじる、そんな感動のある式典を意図的に企画することによって、式典に出席した生徒たちの人生に、大きな良い影響を与えることになることを先生方は自覚すべきであろう。
それを子どもたちに与えることが出来るのは、学校の先生しかいない事に早く気付いて欲しい。オーラの出るような素晴らしい先生の出現を心から待望する。
暦を見ると3月5日は啓蟄とある。私にとっては、あまり馴染みの無い言葉である。日本語大辞典で調べると、「啓蟄。二十四節気の一つ。3月4〜5日ごろ地中で冬ごもりしていた虫がはい出して来る頃をいう」とある。
「蟄」という漢字も書いた事も無く、漢和辞典で引いてみる。虫へんを開けて「蟄」をみると「ジュウ・チュウ・チツ」と読みがあり、意味は「かくれる・こもる・虫などが土中に隠れ閉じこもる」とあった。蟄を使った熟語に、蟄雷(ちつらい)「初雷、春雷が初めてとどろき冬ごもりしていた虫の目をさますこと」。蟄虫(ちつちゅう)「冬ごもりをしている虫」とか蟄蟄(ちつちつ)「静かなさま」とかがあり、なかなか面白いと思った。
この「蟄」という漢字を辞典で引くには虫へんを見るが、虫とは何か?「虫」とは昆虫の総称とあり、人獣鳥魚以外の動物と書いてある。そのほか腹の虫、かんの虫、泣き虫、娘に悪い虫がつくなど「虫」と言う漢字だけでも、調べると面白く楽しめる。また虫へんのついた漢字の多さにも驚く。ざっと数えて206あった。見ていくと虫へんの漢字はややこっしいが「プッ」と吹きだすほど面白くておかしい。漢字からその虫を連想させる楽しさがあるからである。比較的知られているものに、蜂(はち)蟻(あり)蛍(ほたる)などを思い出す。感心したのは、虫に占うと書いてケムシ。ケムシの毛が占いの筮竹(ぜいちく)を連想させるからだろう。虫に圭と書いてカエル。圭は田のあぜ道、境界線のことも意味するから、田圃のあぜ道に必ず居るものといえば「カエル」であったのか。蛙の子はオタマジャクシ、漢字で書くと、虫へんに舌、「蛞」と書く。ナメクジとも読まれるようだが、双方とも「したべら」に似ている。虫にぶん(文)と書いて「カ」。夏になって蒸し暑い夜、ブーンブーンといって、蚊に刺され眠れない事があります。これも納得。よく出来ていますしおかしいですね。
まだまだ面白い文字、漢字は沢山あります。皆さんもお楽しみを。今日は春の訪れを意味する啓蟄から、虫の漢字の面白さを見ました。
日常生活用品から一戸建て住宅にいたるまで安売り合戦が続いて久しい。バブル経済の破綻以降、急速に規制緩和の波が押し寄せ、なんでもかんでも安売り合戦となった。経済状況も著しく低迷が続き、国民の生活不安が一層増徴し消費意欲は低下する。そうなると物は売れなくなる。そのため更に安売りを断行する。安売り競争をすればするほど、メーカー始め流通業者・卸・小売業など全ての関連企業の利益は低下する。そうなると企業はリストラを決行せざるをえない。そうなれば失業者は増え、また社会不安が増大する。この繰り返しにて何時までたっても経済は良くならない。
近年、日用雑貨、衣料品、家庭用電化製品、くすり、外食など郊外型大店舗が連立しているがこれらは低価格販売を売り物としている。これらの郊外型大店舗のPRキャッチフレーズを見ると面白いものがある。「低価格販売日本一に挑戦(紳士服チェーン)」「365日低価格に挑戦(家電販売チェーン)」「どこよりも安く・どこよりも旨い(外食チェーン)」「アメリカ旅行が当たる(外食チェーン)」等など・・・・・
これらの安売り合戦は、我等米業界にも及んでいる。至る所でディスカウント販売となる。売れ筋人気NO1は、やはり新潟県魚沼産こしひかりである。私は、ここ2年間 10kg 7,200円で販売しているが、ほとんどの店は4〜5,000円以下での販売で、ひどい所では3,000円台での販売もある。その為か、川西さんのお米は高いねとよく言われた。
しかし、ここに来て最近は、至る所で売られていた「魚沼こしひかり」が姿を消している。またあっても、よく見ると、魚沼こしひかりと書いてある品名の横に小さく「ブレンド」と書いている。要するに本当の魚沼コシではないという事である。
これには少々訳がある。この4月1日からJAS法(農林物資の規格及び品質表示の適正化に関する法律)が施行されたからであります。要するに、日本農林規格(JAS)の適用により不正表示が出来なくなった為であります。今まで、魚沼こしひかりは、生産量の約3〜4倍(私は10倍ぐらいは在ると思う)もの量のお米が市場で売られていましたから、ほとんどはニセ魚沼こしひかりであったのです。故に、魚沼こしひかりを売りながら、本当は魚沼こしひかりを仕入れていない業者も多くあり、今回のJAS法導入により本物を仕入れなくてはなら無いという事態になったのです。従って、3月27日の第9回入札会では、落札希望者が殺到し、60kg玄米あたり13,000円近く値上がりして60kg、36,000円後半から40,000円強という大幅な値上がりとなりました。これは、小売価格にして10kgあたり9,000円以上で販売しても採算の取れない価格となったのです。
至る所でディスカウントされた安売りのお米であるが、大方の消費者は、本当の魚沼こしひかりを食べていなかった事が分かる。本来の安売りは、お客様に喜んでもらうもの、心からの感謝にてサービスするものである。しかし、今回の魚沼こしひかりは、逆にばかばかしいほどの大幅値上げを招く結果となり、多くの消費者に迷惑を掛ける事となった。
真の販売とは、本来は適正価格で販売すべきもの。消費者も助かり喜ばれる。販売業者も生産者も経営が成り立つ事が健全で豊かな経済を取り戻す第一歩ではないかと思う。今、日本の経済がおかしいのは、本当の安売り、心からのサービスでの安売りになっていないためでしょう。偽りの安売りではいつか破綻を招いてもあたり前の事でしょうね。
今、自由民主党総裁選挙が行なわれているが、四名の候補者は、よくテレビに出演して支持を訴えている。景気対策、構造改革など持論を張っているが、誰がしてもあまり期待は出来ない。何故かと言うと、国家国民のため命をかけて政治をするという姿勢が全くみられないのである。たとえ多くの敵を作ろうとも、どのような苦しみがあろうとも、今日本のために、国民のためにやらなければならないことは、政治生命にかけてでもやるという強い信念がみえないのです。耳ざわりの良い事、マスコミ受けする事など、要は政治家として永くその地位を維持し、名誉や権力を得んがための活動であり、本当の国家国民の為の政治活動がないがしろにされている事は真に残念であります。
今や日本はとんでもない方向に向かっています。国民が日本国民であることに誇りがもてない、自信も持てない。日本人であることへの感謝や思いやりもない。そんな大変異常な国になってしまったと言う事です。
その原因の一つにマスコミがあげられます。例えば森政権にあって、マスコミは政策の批判ではなく、森総理個人への誹謗中傷攻撃を連日おこなった。これは政治批判ではなく、むしろイジメ的要素が強いものであり、見るに耐え難き状態であった。たとえどうであれ、一国の総理をばバカ者呼ばわりし、無能力者のレッテルを貼ってしまったのは戴けない。公共の電波を使って、芸人やタレントが言いたい放題、うけねらいもあって総理をこけ落とす、これは許せない事であった。以前マスコミが力を入れ、好意的にとりあげ当選させた、横山ノック前大阪府知事、また青島幸男前都知事。これらはなんだったのでしょうか。マスコミも大いに反省をして、驕り高ぶった傲慢な報道体制を是正し、公共性の立場から、真摯でフェヤーな正しい報道を心がけるよう願うものです。
そしてもう一つの原因には冒頭でも言いましたが、国会議員の質的(人間的及び政策能力)低下から来る、政治不信であります。全ての政治家は、現在の政治不信は他の議員が原因で自分ではない。自分ほど立派で偉い者は居ないと思い込んでいるふしがある。これが間違いの始まりです。政治や政治家が国民から信頼を得られないのは、人間としての生き方、心の持ち方に問題があり、そのことに全く気付いていないところに問題があるのです。
論語に「子曰わく、政を為すに徳をもってすれば、たとえば北辰その所に居りて、衆星これにむかうが如し。」とあります。これは、仁の心から発する思いやり(恕)の政治を行なえば、たとえば北極星が真北にあって動かずに、多くの星がそれに向かって来るように、その徳を慕って集まって来るものだ。(伊與田覺先生著仮名論語より)という意味です。現在の多くの政治家は徳というものがなさ過ぎます。言葉上手に立派なことをいっていても、所詮はいかに選挙で当選できるのか、地位はどうすれば高くなるのか、そんな事ばかりを考えている。また金にはめっぽう弱い。こうした事は全て国民に見透かされている事すら気が付かない。
人間は、本来徳というものを研き養い、徳行を実践する生き方に日々挑戦している。特に人の上に立つ立場にいる政治家はことさらである。
憲法記念日に思う(2001.5.3)
5月3日は日本国憲法の施行を記念する日である。先月26日に発足した小泉内閣では、改憲を断行すべく姿勢を明確にした事は喜ばしい事であり大いに期待をするものである。
それにしても、新閣僚の紹介を兼ねた記者会見をみて、朝日新聞記者の質問には愕然とした。新閣僚一人一人に「あなたは靖国神社には参拝しますか。参拝するとすれば私人公人どのような立場での参拝ですか」・・・・・なんと言うレベルの低いお粗末な質問であろうか。どうして何時もいつもこのような質問しか出来ないのかと情けなくなる。
閣僚が靖国神社に公式参拝してどこが悪いのか。諸外国では戦争の犠牲となった人々の慰霊祭は必ず行い、御霊を静め慰め、今日の幸せあることに心から感謝してお参りをする。これはどこの国でも当たり前の事であり、人として常識であります。
しかし、現在の日本は、日本の国を命をかけて守り築こうとして斃れた人々の霊をお慰めしてはいけないという大変情けない国であります。諸外国への配慮とか、軍国化をまねき不安を与えるとか。本当にナンセンスであります。
靖国神社には、現在2,466,344柱の御祭神が祀られていますが、第2次世界大戦で亡くなった軍人(特に戦犯者)が祀ってある神社であると思いがちですが、そうではありません。
靖国神社は戊辰戦争(1868・慶応4年)[徳川幕府が倒れ、明治という新しい時代に生まれ変わろうとしたとき、新政府の薩長軍と旧幕府軍とが鳥羽及び伏見で激突]で斃れた人たちを祀るため、明治2年(1869)、明治天皇の思し召しにより創建されたものであり、初めは東京招魂社と呼ばれていました。後に嘉永6年(1853)アメリカの海将ペリーが軍艦4隻をひきつれ浦賀に来航した時からの、国内での戦乱に殉じた人々を合わせ祀り、明治10年(1877)の西南戦争以後、外国との戦争にて日本の国を守るために斃れた人たちも合わせ祀ることになったのです。(靖国神社概要参考)
このように靖国神社に祀られている御祭神は、現在の日本の礎となり、日本とその国民を守るため、尊い命を犠牲にした人たちであります。このような人々のお陰で、現在の豊かで安心して住む事の出来る日本があるのです。その人々に心からなる感謝と、御霊の安らかなる眠りを祈らずにはいられません。
日本の総理をはじめ、閣僚が靖国神社に参拝してはいけないと言うナンセンスな認識はもはや改めるべきであり、これからの日本が世界のために為さねばならない責任や使命を果たすためにも、人間として正しい認識を持つべきでしょう。
現憲法を改憲し、21世紀の世界にあって、これから歩むべく日本が世界の繁栄と安全に寄与し、日本を愛し敬い、日本人として誇れるような、そんな真っ当な国民意識を構築するためにも憲法の改定を急がなくてはなりません。日本人が日本人らしくあるためにも新憲法の制定を心から熱望していることを、憲法記念日に合わせて思うのです。
児童虐待に思う(2001.5.17)
近年、児童虐待が頻繁に生じて大きな社会問題化しています。表に出てくるケースは悲惨で残酷なものです。それらは幼児殺人事件としてニュースなどで表面化し、私たちの知るところとなります。大阪市の児童虐待に関する調査記事が産経新聞に掲載されましたが、虐待の加害者の6割以上が実母であり、父か母による虐待は8割を越すといいます。
なぜ幼気な我が子を虐待するのか。理由の半数は「躾の一環」として正当化しょうとするらしいが、幼い子どもの身体に大きな青黒いあざが出来るほど暴行を加えたり、腹や顔を殴る蹴るというような事は、到底躾をしているとは言えません。又躾のために養育を拒否するような親は親とは言えません。躾とは、清らかな正しい習慣を身に付けさせることであり、親の身勝手さを押し付ける事ではありませんね。時には厳しく教えなければならない事も有りますが、そこには必ず子を思う、温かい思いやりや深い愛情があって初めて出来る事でありましょう。
虐待事件が後を絶たない現在、躾は虐待に通ずるから、躾教育はしてはいけないと言う学校の先生も現れる事になる。しかし躾と虐待は全く別の問題で、躾と虐待とを一緒にしてはなりません。例えば歌舞伎など芸事の家柄では、その芸を伝承する為に、親から子、子から孫へと、非常な厳しい仕来たりや慣習を身に付けさせ、芸は血の滲むような稽古を繰り返し続けられるのです。しかし、これらをイジメとか虐待などとは聞いた事はありません。何故かと言うと、そこには幼い我が子であっても、互いの人格を尊重し合い、そして深い愛情と厳粛なまでの敬意の念があるからであります。
生まれたばかりの赤ちゃんにも、尊い人間としての人格のあることを深く弁えれば、どのように子を育て、親としてどのような親にならなければならないのか、自ずと分かると思いますが。
児童虐待に思う(2)躾とペット化(2001.5.28)
最近は子供を育てる事とは、親の価値観、趣味的一致を強要するような、親自身の思い通りの子供にしようとする傾向が強くあるように思う。またこれこそが子育て、養育だと勘違いしている親が多い。要するにペット化である。幼い子供が、異常な髪型や毛染め、服装をさせられているのを見ると、なるほどとうなずけます。要するに、無意識のうちに我が子をペットと同じ感覚で見、親の思い通りの子どもにしていく、そして嫌がれば叩いてでもしつけて行く。まさしくペット化です。
躾とペット化は当然違います。躾とは、正しくて清らかな習慣を身につけさせる事。我が子が、将来豊かな意義ある人生をおくれるように願って、物事への正しい判断力や、早寝早起き、三度の食事など規則正しい生活習慣を身に付けさせる。又、清らかな心、清潔感、辛抱や人への思いやり。美しい花や色を綺麗と思える豊かな感性、そして感謝の心など、温かい愛情を持って教える、これが躾でありましょう。これらは、親みずからが手本を示し導く事が大切です。
そしてもう一つ、最近若いお母さんが、自動車に赤ちゃんを乗せて運転しています。これは問題ありませんが、ただお母さんの喫煙です。窓を締め切った狭い自動車の中、モクモクとタバコの煙を充満させて運転しているのをよく見かけます。安全のためにチャイルドシートに寝かされていても、健康面の安全はおかまいなしです。赤ちゃんの立場になれば、こんな迷惑なことは有りませんし、赤ちゃんを乗せ、くわえタバコのお母さんは、見ていても格好の良いものではありませんね。
これも赤ちゃんの人格を尊重し、思いやる事の出来ない、いわゆる小さな虐待なのかもしれません。大いに気を付けたいものです。
梅雨は天の恵み(2001.6.6)
近畿地方は梅雨に入りました。当分は雨の中での業務となり、米を濡らさないように配達しなくてはなりません。お客様への御用聞きも頭からずぶ濡れ状態で、毎日大変です。
しかし梅雨のお陰で、田植えの終わった田圃には新鮮な水が豊富にもたらされて、苗の生長を助けます。特に田植え後、苗から新しい根が出るまで一週間ぐらいかかりますが、この間、苗は寒さに弱いため、田んぼの水をやや深めにして、寒さや風から守ってやる事が出来るのです。
こうした自然の与えてくれる恵みと、生産者の米に対する温かい思いやり、愛情が融和し、秋には豊かな実りを迎えることと成るのです。だから、梅雨時の配達業務は大変ですが、これまた有り難いことなのです。
梅雨によって田圃は瑞々しさを一段と増す頃、蛍が舞い始めます。最近では中々見れません。
私がお願いしている、「大和高原米(こしひかり)」の生産地、奈良県宇陀郡榛原の田圃では、間もなく蛍が乱舞します。生産者の加留さんから、蛍が出始めたら連絡をもらえるようにしているので、今年はデジカメで撮影して、当ホームページのなかで多くの人に見てもらえれば嬉しいと思っています。ただそのタイミングを逃がさず私が榛原に行けるかどうか、これが問題ですが。
今、日本人の生き方を考え直すとき(2001.6.13)
またしても起きた学校での惨劇。大教大付属池田小学校児童殺傷事件は、8名もの尊い幼い命を奪う最悪の事件となった。一昨年京都市の小学校校庭で、当時小学2年生の児童が刺殺され、学校の安全管理が問われるようになった矢先の出来事で、言葉もない。
なぜこの様な悲しくて憤懣やるかたない事が起きてしまうのか。真相が明らかになるにつれて、宅間容疑者の幼稚でナンセンスな考え方、生き方の犠牲になった児童を思う時、やり場のない憤りを感じる。
宅間容疑者が2年前、伊丹市内の小学校で異物混入事件を起こしたが、以来そのことがきっかけで人生が狂ったと言っているようである。結果妻とも離婚したのであるが、彼の生き方というものは、今ある現実を全て人や社会のせいとし、挫折感も手伝って自殺願望を抱いた結果での、最悪最低の犯罪である。
こんな惨劇が頻繁に発生する今日の日本は、どこかが狂い始めている事に早く気付き、改善しないと又繰り返される。政治もしかり、マスコミもしかり、大人や親もしかり、他を批判し、罵りる。こんな事は日常茶飯事、テレビなどを通じて見せられている。他を思いやる、優しい心や、道徳感というようなものは欠片もない今日である。現在の日本の在りよう、社会や家庭の在り方をもう一度省みて、日本人の歩むべき正しい道を今将に再考実践しなくてはいけない。
今、子供を守り育てねば(2001.6.23)
最近、幼児や児童を狙った凶悪犯罪が連続しておきている。幼気のない子供たちは、社会や人間に対し何の不信感をも持たない。純粋無垢の清い精神状態にて力いっぱい生きている。 そして、彼らなりの、ほのぼのとした、明るくて美しい理想を抱いて元気に生きているのである。
こうした一点の疑念もない、無防備の子供たちに、突然襲い掛かる凶悪犯に遭遇した子供たちは、表現できないほどの恐怖に陥れられる。そして、人間不信、社会不信に陥ってしまう。何よりも心に受けた傷は、今後の人生に大きな痛手となってしまうことが一番辛いことです。
私たちは、21世紀の日本を担う子供たちを守り育てなくてはいけません。それが現在の大人の使命です。そして、真の人間として踏み行うべき正道を説き、教えて、真の家庭、真の学校教育を再興しなくてはいけません。そのために私たち大人は何をしなければならないのか、今まさに真剣に考えなくては成らない時なのです。
御陰様で「米ふれんど50号」を発行(2001.7.1)
お客様とラオフードを結ぶミニ情報紙 「米(まい)ふれんど」 (毎回3,000部)の発行回数が7月号をもって50号になりました。 平成8年8月号が創刊号で、ほぼ毎月発行(年10回)してきたのですが、今、あらためて読み直しますと素晴らしいと自画自賛しています。これも良き理解者や協力者の御陰であります。
A3という小さなスペースで如何に楽しい情報を発信出来るのか、そしてニュース性もあり、時事を反映させて読者に少しでもお役に立つ情報紙にと考えてきましたが・・・・読者の皆様の感想や如何に。
シリーズものとして、財団法人成人教学研修所 常務理事 築山文雄先生の「教育を考える(1〜13回)」。四条畷市史編著者 山口博先生の日本の食事情や四条畷の風土記、歴史。戦中戦後の先生の生活状態など連載しました。また、現在は(財)成人教学研修所学監伊與田覺先生の著書から「楽しく論語」と題して、論語から人生の有り方などを感じ、学びとれたらと思います。
これからも多くの人に楽しく読んでもらえる紙面にすべく取り組んで行きますのでご支援のほどお願い申し上げます。なお入用の方はお送りいたします(無料)。Eメールで宛先をご連絡ください。
さあ今日から7月、暑くなりますが体力気力大いに充実させてガンバリましょう。
参議院選挙始まる(2001.7.13)
約2週間もの間、怒り心頭で「ひとりごと」が更新できなかった。とにかく憤懣やるせない悶々とした毎日で、怒りは頂点に達し何から解消してよいやら。
中でも歴史教科書の問題、小泉首相の靖国神社公式参拝について、こうまで中国や韓国に言いたい事を言わせてよいものか。また、其れを煽るがごときマスコミの姿勢、そして国会議員たちの骨の無さ。
鳩山さんは何をしに韓国へ行ったのでしょうか。国家の将来を左右する重要な教育を、他国の仰せの通り致します。どうぞ大いに干渉して下さいと言いに行ったのでしょうか。国を売り渡すごとき軽薄な行為は野党の党首とはいえ、政治家として失格です。
そして山崎拓さんも、わざわざ今どうして中国まで行って、靖国神社のA級戦犯分祀案なるものをぶち上げなければならないのか。小泉総裁が命がけで筋を示そうとしているものを、女房役の幹事長がよりによって足を引っ張る。政治家よ、しっかりせよ!まったく(拓?)もう。
漸く我が家の周りでも蝉が鳴きだしました。ミンミンとうるさいぐらい元気に鳴いていますが、昨日は参議院選挙も始まり、これまた、やかましくなります。どの党も、蝉の鳴き声と同じで見分けがつきません。小泉蝉対全党蝉という感じですかね。
小泉人気で国民の政治に対する関心が高まった今、日本再生を国民とともに論じて、真の国家国民のための政治を遂行してほしいと願う。
朝ご飯は健康のもと(2001.7.25)
暑中お見舞い申し上げます
大変暑い毎日が続いています。昨日(24日)は各地で観測史上最高の記録となる40度を超える猛暑となり、熱中症にて3名が死亡し、重軽傷者は300人近くに達した。
私の仕事も外回りの仕事が中心で、お客様への訪問、配達業務を毎日している。ここ連日の暑さは文字通り酷暑であり厳暑です。一応、営業車は冷房していますが、納品時は、エンジンを切って駐車していますので、車内のハンドルやシートは焼けて、とても乗れる状態ではありません。こんな過酷な状態で社員一丸となって頑張れるのも、暑い中、私どものお米を食べて頂けるお客様に感謝しているからでしょう。
それともう一つ、この暑さの中でも頑張れるのは、ごはん中心の食生活があるからでしょう。一年365日必ず「ごはん」での朝食をとりますが、この「ごはん」が私たちのスタミナの源であるといえます。朝ご飯は一日の活動の大切なエネルギー源となり、健康状態を保ってくれています。暑さの中、快適に働けるのもお米のお陰と感謝して、一人でも多くの人に、必ず朝ご飯をしっかり食べてもらいたいと思います。
参院選終わる(2001.7.30)
第19回参院選挙は29日に投票が行われて、小泉自民党が勝利した。大多数の国民は小泉内閣が掲げる改革を支持したことになる。現在の国情を考えれば、聖域なき構造改革を速やかに断行して、国家を再生しなくてはいけない。この事を今回当選した自民党議員は認識し実行してもらいたい。
民主党は改選議席を僅かに上回ったが、一人区は惨敗状態であり、比例代表も獲得票が伸びなかったことを見ると、次代を担う政権政党としての期待感は少ないと言わざる得ない。
今回の選挙、小泉総理対民主及び全野党という構図での戦いであった。この不況経済の中にあって、大きな痛みを伴ってでも、国民の多くは新生日本を望み、日本の国家としての尊厳を守り、真の独立国として正しく力強い日本を希望した事となる。
そして、今回の選挙において残念な事は、経済優先の論戦が多く、これからの日本や、日本人の歩むべき道、在り方など、一番重要な教育の問題が論じられなかった事です。
不良債権処理、其れに伴う倒産失業の問題、公共事業や消費税など国民が今どう生きるのかという当面の諸問題もありますが、この荒廃した日本の現状を見ると、一日でも早く真の教育を取り戻す教育改革を最優先課題として断行しなくてはなりません。教育と言う問題を国民が大きな関心を持って、大いに論じ合わなくてはなりません。
田中外相の政治能力を問う(2001.8.3)
記録的な猛暑と少雨により、近畿各県では渇水対策の検討がされ始めた。昨日(2日)の大阪の気温は、38.4度という観測史上第4位の記録だという。とにかく暑いというより焼かれているという感じのする暑さだ。
さて、田中真紀子外相の政治能力が問われている。外務省人事の決定権争いとなり、官邸サイドと田中外相との確執は歴然としてきた。昨日は外務省職員全員を講堂にあつめ、外務省人事の指導権は自分であると演説したが、これも何の意図があるのか私には理解しがたい。
物事をはっきり言い、政治家として絶大な人気のある田中外相ではあるが、これも親の威 光やマスコミに作られた部分も大きくあり、本当の実力は判らない。
一時期首相にしたい政治家NO1として大きな期待を持ったが、現状では、一国の舵取りを任すには任重く危険であることが判明した。
その力量はないが人気は絶大な選手を、チームの4番においたのと同じで、フアンは喜ぶがチームは勝てない。あせればあせるほど、ボール球に手を出して、本来のバッテングセンスを崩している現象が今の真紀子大臣の姿ではないかと思う。本当の4番バッターとしての力量は、苦しい猛特訓の中にあることを理解して、腐らずに努力研鑚される事を望む。
みどり深い山中での尋常研修に参加して(2001.8.12)
四條畷市内の山中にある、(財)成人教学研修所において、今年も恒例の尋常研修会がありました。(8月4・5・6日の2泊3日)私もご縁でお手伝いする機会を頂き、子供たちと2日間共に生活をしました。
参加者は小学校3年生から6年生の男女で、愛知県、和歌山県、兵庫県、愛媛県などから来た、男女13名の子供たちです。講義や食事は正座で行われて、食事の準備から後片付け、風呂掃除に至るまで全て自分でする。研修内容は、研修所学監伊與田覺先生による講話を初め、孝経の素読、読書、日記、飯盛山登山。その他清掃作業など休む間もないスケジュールです。初めは研修所内を走り回っていた子供たちが、研修が進むにつれて、立ち居振舞い、姿勢などが良くなり、目の輝きも変わったように感じました。又、漢文で書かれた「孝経」の素読も1〜2時間の授業で読める様に成るには驚きました。
子供たちの活き活きした生活ぶりは、学校では味わう事の出来ない何か違う、人としての正しい在り方を感じ取った喜び、嬉しさからくるものでしょう。足をしびれさせ正座での講義は40分以上続きますが、誰一人として脱落しない。負けたら恥ずかしいと思う心が私にも伝わり感じとれました。
昨日の新聞では、全国の小中学校での不登校が、過去最高の134,000人。中学生では38人に1人が学校に行っていないと報じられています。学校は子供に在って楽しい所のはず。なのに何故こんなに多くの子供が学校に行けないのか。要は学校は楽しくない場所になってしまったと言う事です。教科のみの教育に重点が置かれ、明けても暮れても知識を詰め込むばかりで、人となるための人間育成、人格育成の教育が成されていない事に大きな原因があるのです。どんなに厳しいものであっても、自身の人間的成長が感じとれれば楽しいはずです。無ければ喜びや楽しさは生じないのです。現在の学校はそうした子供の人としての成長を感じさせる楽しさや喜びが全く無いからであります。
人は本来、人間らしく、本当の人になる憧れや理想を抱いているはずであります。今回の尋常研修を見てつくづくそれが分かりました。来年の尋常研修にも多くの子供たちが参加して、正しく健全な社会を築く若者が育つ事を念じています。
職業体験学習の依頼に思う(2001.8.23)
四條畷市商工会と四條畷市立南中学校の連名で、「職業体験学習」の協力依頼があった。目的は「進路学習の一環として、実際に働く人々に接し、労働を体験することで、職業の厳しさ、尊さを実感する。そして職業についての理解を深めて自分の将来や進路を真剣に考える良い機会を得たい。(原文のまま)」とある。実施日は11月で2日間との事。当方も出来る限りの協力をしたいと思っている。
このような授業は各地各学校で行われている。ほかにも文化人、スポーツ選手など著名人を特別講師に招き、子供たちに感動ややるきを起こさせ、学ぶ事の大切さなどを教えようとしている。が、このような授業は今流の流行で、これをしたからと言って正しい教育が成されたとは思えないし、これで満足していてはいけない。(今回の職業体験実習は、他人の中に入って気を使ったり、色々な仕事を知る上では良い事であり良い教育の一環につながると思いますが、これが全てではありません。)
本当は学校、家庭双方において、子供たちに勉強以外で日常的作業というか労働的な活動を毎日少しでもさせることが重要でありましょう。たとえば学校での清掃作業、トイレ掃除、ガラス拭きなど学年に応じた労働作業はいくらでもあります。家庭では家の内外の清掃、風呂掃除、食事の後片付け、自分の部屋や布団の上げ下げ。考えればいくらでもある。これらをPTAが中心になり、全校運動としてこれを強力に推進することです。まずこれくらい出来ないようなPTAであれば無いほうがまし。それをしようとすると先生や親は学校や家でその手本を示さなくてはなりません。
いま子供たちが必要なのは、毎日の規則正しい生活習慣を実践し、良い習慣(しつけ)を身につけることが何よりも大切な事。そのために親は、特に母親は経済を優先しないで、子育てを優先させて欲しいと願います。
実りの秋・新米の収穫(2001.9.1)
秋風のさわやかな好季節となりました。これから各地では稲刈りが行われ、実りの秋本番と成ります。商売上、一年中で一番心うきうきする時であります。今年はどんな米に成っているのか。甘味は、粘りは、色つやは、と色々と思いをめぐらして新米の入荷を待ちます。各地の生産状況を観察しながら大きな期待を抱かせるこの時期、台風など大雨や風、これさえなければ大丈夫なのですが、米にも各品種があり、刈り入れ時期も異なります。9月から10月にかけて後1ヵ月半の間台風の来ない事を祈ります。
米の生産も大変な重労働です。2〜3月頃は田圃を起こし、土作りから床作り、そして、種籾の選定、種まきなど準備は大変です。収穫までは田植えから約4ヶ月を要しますが、生産者はその間、水の管理、田の草取り、害虫の駆除、施肥など、そして何よりも天候次第で米の出来不出来も大きく左右されます。これらを乗り切って初めて立派なお米が収穫できるのです。
9月4日には、当店のオリジナルブランド「大和高原米」(奈良県榛原)の原料米となる「こしひかり」の稲刈りです。私も行って稲刈りをしてきます。詳しくは当HPの産地情報でお知らせしたいと思っています。
さあ!美味しい新米を多くの皆様に食べていただきます。そして大きな実りに感謝の心を忘れないで下さい。お米の一粒一粒が、豊かな自然の恵みであり、生産者の弛みない情熱と努力からなる実りの産物ですからね。
先生たちよ、命がけで自らを正せ(2001.9.10)
今年7月、中国道で中1の女子生徒が手錠をかけられて放置され死亡した事件があったが、犯人は驚く事に中学校の教諭であった。この教諭はほかにも数人の女性に手錠をかけて暴行を繰り返していたと言うから唖然とする。
最近は考えられない事件が続発する。それも先生と言われる人(裁判官・弁護士・警察官・官僚・政治家・大学教授・学校の先生)。人々から絶対の信頼と尊敬を受ける立場の人からなる不祥事が多すぎる。こうなると子供たちは、国民は何を信じ何を理想として生きていけばよいのか分らない。
多くの国民は身を諌め、自らを正して懸命に生きようとしているが、地位もあり経済的にも恵まれ、人の上に立ち、人々を正しく指導し導く立場の先生といわれる人がなぜか自身の生き方を正せない。享楽的・物質的・金銭的・性的欲望をコントロール出来ない、お粗末な先生と言われる人たち。
こんな幼稚なことでは日本もお終い。今の日本の現状を見て、歴史教科書問題や首相の靖国神社参拝など、日本に言掛りをつけている近隣諸国はニンマリして見ている事でしょう。手を下さなくともいずれ日本はつぶれると。
米国の同時多発テロと日本の国防意識(2001.9.14)
NYの超高層ツインビル、世界貿易センターやワシントンの国防総省などにハイジャックされた民間航空機が突っ込むという史上最悪のテロが11日に起きた。
センタービルに航空機が突入し大爆発する映像が繰り返し報道され、火山爆発を思わすような黒煙と灰の中を逃げ惑う映像を見て、これは単なるテロではなく戦争だと思った。
国防意識や危機管理において、世界をリードしてきたアメリカが、経済と国防施設の拠点をこうも簡単に攻撃されるとは信じられない。しかし戦争にはルールは無くこれが現実なのである。
日本人は武器を持たず、世界の国々と仲良くしていれば戦争は起こらないと寝ぼけた間隔が常識化して、ノーガード状態である。日本も今回のような事態が起こらないとはいえない。官邸や霞ヶ関が、大阪のツインビルがテロの標的となれば、アメリカ国民のように整然とした秩序が保てるのかどうか疑問である。今回のテロを教訓に、日本国民も確たる国家意識と国防意識を持つべきである。
テロリズムとの戦い(2001.9.28)
9月14日以来ひとりごとの更新が出来なかった。新米の時季となり、米の事で(アメリカの事ではありません、私の商売のお米の事です。)頭の中がいっぱいで、何やら気が付いたらもう10月になろうとしている。
9月は色々な事がありました。特に史上最悪な米中枢テロ事件の発生で、多くの人が犠牲になりました。今回のテロは「新しい形態の戦争」であるとして、テロ組織やそれらを支援する組織や国家に対しては、これを根絶するために毅然たる対応をしなくてはなりません。
特にわが国のテロに対する認識や対応は意識が低く、国際社会での面子や形のみを優先して、真からテロリズムと対決すると言う覚悟と姿勢がみられない。戦わなければならない、戦うと言う事は何のために戦うのかと言う事を理解出来ない人が多すぎるようです。
ある女性党首が言うようなピントはずれの平和理念はもはや現代には通用しない。その現実を今回の傍若無人極まりない非道なテロ行為をみれば分るはずですが。
あまいあまい平和と国防意識(2001.10.1)
ABCテレビのサンデープロジェクト(9月30日放送)で与野党党首討論と田原総一郎氏と石原東京都知事の対談を見て、愕然とした。今の政治家や識者といわれる人たちがこうも枝葉末節的な討論に終始し、その映像が全国に流れているのかと思うと情けなくなった。特に田原氏はナンセンス過ぎる。石原都知事が、日本の防衛のため、海外派兵は当然と言っているのに、田原氏いわく、「それはアメリカに追随する事であり、属国になることだ。」と、声を荒げて迫っていたが、何にも分っていない人だ。・・・・・以下少し長くなりますがお付き合いください。
今回の米中枢テロに対する、テロ根絶闘争と、10年前にあった湾岸戦争とは、意味合い、根源が全く違うということを認識して考えないと結論を誤る。この放送を見ていて、PKO法の解釈や自衛隊の後方支援のあり方や考え方を、湾岸戦争時と同等の解釈で議論している点。そしてアメリカ支援は間違いであるかのごとく論じる点など。反米意識、反自民的意識レベルでしかないこの種の討論は間違を生じさせる。これは、自分の身に置き換えて考えれば、こんなナンセンスな理論は出て来るはずもない。田原氏が、本当に自分の理論は正しいと真実思っているとすれば、これは随分と左に寄った考え方をしているとしか思えない。そうだとすれば、ただ単に我が身が大事なだけで、それこそABCに追随しているだけのつまらないキャスターであると言えるだろう。
私が言わんとする事は、今回の史上最悪のテロ行為は、どのような理由があるにせよ、絶対に許してはならないと言う事なのである。今、政治家や各種の識者・評論家が声を荒げ、口角泡を成して論じている事は、アメリカで起きたテロ事件に対して、アメリカの報復行動を日本としてはどう対応するのか。国際的にも格好をつけなければならないし、かといって危険な事は困る。政治家は世論を恐れ、マスコミうけしなければ選挙で当選出来ない。そのために諂い、理不尽な風潮に追随し、正しい政治判断が出来なくなってしまう。要するに対岸の火事的認識での討論であってはならないのです。
今回のテロが日本で起きたらどうでしょう。いや、日本は外交的に世界と仲良くしているから、このような事は起こらないと思う人もあるかと思いますが、それは、テロリズムというものを知らな過ぎます。いつもテロの標的はアメリカだけではありません。日本も標的となる可能性は高いと言えます。今回のような規模のテロが、東京や大阪などで同時に起き、それこそ身内や友人知人を失い、国家機能は麻痺し、経済活動は壊滅的ダメージを受けたらどうでしょう。日本は何もせず、そのまま指をくわえて泣き寝入りをするのでしょうか。それこそ日本は壊滅します。そうならない為にも、そのテロ実行犯は当然、それを指示し援助しているものに対しても断固戦わなくてはいけませんし、撲滅しなくてはいけないでしょう。当然、日本及び日本人は武器を持ってでも戦わなければなりません。そうした時、同盟国や多くの国々から受ける支持、支援協力はどれほどの勇気をもたらし、どれほど有り難い事と感じるでしょう。
今まさに、アメリカはその時なのです。一人でも多くの人や国の協力と理解を欲している時なのです。ここで助け合わなかったら、真の同盟国とは言えないでしょう。それは、アメリカだけの問題ではなく、全世界の平和を守るための戦いであり、日本国家国民の平和と安全のための戦いでもあるのです。
評論家は適当に論じていればそれで飯が食える。本当の国家国民のために、命がけの討論をすべきです。
家庭を取り戻そう(2001.10.8)
最近目につくのは、若者達が地べたに座り込んでいる姿だ。コンビニの前、駅の階段やホーム、電車の通路、道路わき、空き地など、集まれば必ず尻を落として座り込む。ひどい者になると、コンビニ内で座り込んで週刊誌を読んでいる者もいるらしい。この現象はどうなっているのか。我、関せずで、周りの目は全く気にする風もない。
原因は色々有るが、特に躾(しつけ)がなされていない事に尽きる。現代は家庭が崩壊してその機能をなしていないと言われているが、まさにその事が窺える。家庭生活がきっちりと機能していれば、大半このような事は生じない。
家庭とは、何かしらないが、心が和らぎ温かい気持ちにさせ、そして清らかな心を育む。どんなに忙しく疲れていても家に帰ればほっと和む、そして家族のことを思いやったり、頑張ろうという気持ちにさせてくれる。家はどんなに古くなっても、清潔感は絶えず有ったと思う。私達の子供のころは、当然家の中と外とは区別され、外から帰れば必ず足を洗い、汚れた衣服は着替えて居間に入ったものでした。
現在はそういう事も教えなくなったのか。そういえば、犬を家の中で飼うとこが多くなってきているが、私には考えられない。犬はどんなに可愛くても外で飼うべき。家の外と中の生活区別も出来なくなってしまった日本はこの先どうなるのでしょうか。
家庭を取り戻そう(2)(2001.10.15)
前回は、若者が集まれば直ぐ地べたに直接座り込む習性を書いた。行儀が悪いとか、どうとかと言う問題では無く、衣服が汚れても何とも思わなくなった清潔感の欠如、立って居る事がしんどいという、体力精神力などの欠如が問題である。心身の清らかさを保つ事は精神力と体力が必要だからである。
最近は特に服装の乱れ、髪、ファション等、乱れ方が著しい。中学生高校生たちは、一応制服らしきものは着ているが、ズボン、スカートは折り目は無く、カッターシャツなどは、だらしなく外に出し、ボタンはかけない。その上、髪型はボサボサ頭で茶髪。
この子供達は何処からきて何処に行くのだろうと不思議に思う。とても、これから学校で授業を受けようか、という服装、出で立ちではない。今から登校しようとする子供の姿を見て、親はなんともと思わないのか。そして登校してきた子供達を見て、先生も何とも思わなくなってしまったのか。不思議である。
こうした服装の乱れは心の清潔感さえも無くす。したがって、地べたに座って衣服が汚れる事など何とも思わない人間を作ってしまう。そして、自分さえ良ければという、勝手主義、利己主義が子供社会に蔓延する。
人間社会において、何故家庭を大切にするのか?。それは、共に生活する家族の心を清らかにする、清潔にさせる働きが、家庭生活において培われるからです。これが家庭を大切にする第一の要因です。家族の幸せを願ったり、健康を気使ったり。思い合いの中から、信頼感や忠誠心等が養われ、親兄弟は裏切れないというような、相手を慮る心、不正は許さないという正義感、これら皆、清らかな心、清潔な心の状態から生まれます。そして、清らかな誠心は健全な家庭の中から生れ育まれるという事なのです。
もっと家庭を、家庭生活を大切に機能させましょう。
家庭を取り戻そう(3)(2001.10.22)
現在は、「家庭のホテル化」と言われているらしい。家族はそれぞれに寝に返るだけ。ひどい家になると、何日も顔を合わせず、唯一携帯電話が家族の絆を結ぶという。こうなると、全く家族団欒というものが消滅してしまう。困った事である。
何故こうなってしまったのか。これには色々な要因が考えられる。一番の原因は、家庭のかなめであったお母さんの仕事への進出だと思う。決して働く事がいけないと言うつもりは無いが、大量消費を謳歌してきた近年、バブル経済と共に家族の価値観も多様化し、家庭の持つ大切な機能を捨ててしまったといえる。
家族がそれぞれバラバラ(思い思い)の生活をして、家族の団欒と言うものが無くなってしまった今、ものに感謝する心や、思いやる心、敬いの心など、心を育む家庭道徳も亡くなってしまった。
私達は、「ご飯をたべる」と言います。これは「たまわる」から発せられたもので、食物は神や自然からの賜わり物であり、恵みである事がわかる。さすれば当然「いただきます」と言って手を合わせるはず。食事が終われば、「いただきました」「ごちそう様でした」と心から感謝込めて言うはずです。勿論料理を作ってくれたお母さんにも、働いているお父さんにも、尊敬と感謝の念が生じてきます。家庭の持つ機能の重要なところはここであります。
金さえ与えておけば、何時でも何処でも食べる事の出来る時代。何も不自由は無いかも知れないが。親子、家族の温かさも、人としての温もりもない、殺伐とした、機械のような人間社会では、何か冷たいものを感じる。ホテルはゴージャスで格好良いが、何故か、温もりは感じませんね。もっと家庭を、家庭生活を大切にしなければ。
追伸 さて、このホームページは11月1日にフルモデルチェンジします。勿論「川西勝久のひとりごと」はじめ内容は変わりませんが、美しく楽しくを基本にして、シンプルに製作中です。新ページは、「ひとりごと」のバックナンバーを設けています。今後ともラオフードのホームページを宜しくお願い申し上げます。 つづく
論語にまみえる2日間(2001.10.29)
四條畷市逢坂にある成人教学研修所において、第9回「論語温習会(10月26日〜28日)」が開講され、私は10月27日(土)・28日(日)の2日間参加しました。秋深まる逢坂の山中にある研修所は、鬱蒼とした木木の紅葉が始まり、気温も市街地より低く、講習会場は暖房が入っていました。そんな山深い自然環境抜群な所で、大変貴重な勉強をする事が出来ました。
この少ないスペースでは研修の内容を詳しく書けませんが、論語から見る内外の情勢や社会問題。教育や道徳。人間としての生き方在り方。自己の人格形成等等、自身を活眼蘇生させる内容ばかりでした。
研修所学監である伊與田覺先生初め愛知文教大学副学長坂田新先生、論語普及会村下好伴先生、研修所常務理事築山文雄先生ら素晴らしい講師陣の情熱溢れる講義には、大いなる感動を覚え大いに学ぶ事が出来、幸せ感と充実感でいっぱいでした。また、開講式、閉講式。朝晩の朝参夜参などの儀式は畳の講堂で厳粛に行われ、全て正座で行われます。足は痛くてしびれてしまうが、ここに日本の伝統文化があり、諸作法の美しさがあります。
このような立派な研修がこの四條畷で毎回開催されている事を多くの市民に知ってもらい参加をしてもらいたいと強く感じました。現在は人と成る事よりも、お金優先、経済優先の時代。人間教育が軽視される時代であり、自らを高めようとする気概が萎えています。自身を律し高める生き方が如何に尊く大切かを論語は教えています。人としての大切な生き方を知らずして人生の豊かな成功はありえません。その事を知るために大いに学ばなければなりません。今回の研修でその事を痛切に感じました。
写真・・愛知文教大学副学長坂田新先生と私
悲しすぎる社員の死(2001.11.05)
とても悲しくて辛い事がおきました。今、私は悲しみの中で、涙でかすむパソコンの画面を見ながらキーを叩いています。私と共に一生懸命働いてくれた、私の誇りにしていた、当社社員であります海老田英治さんが、10月31日午後11時45分急性心不全の為に急逝してしまいました。享年38歳という短い生涯でした。
海老田さんは身長175cm体重80kg、筋肉隆々で、一番の力持ちでありました。
彼が高校3年のとき、私のもとへアルバイトで来てくれて以来20年間のながきに渡り、川西米穀潟Wャパンラオフードを支え育んでくれた大恩人であります。その彼が38歳と言う若さでこの世を去っていきました。こんなに悲しくて辛い事はありません。
今思えば、川西米穀と家族のためのみに生きた一生であり、真面目で明るい性格は多くのお客様から慕われ信頼されていました。そして、誰よりも私も信頼し、頼りきって全てを任せ、将来をも託していただけにこれほどの辛くて強いショックはありませんでした。11月2日に葬儀を終えた後今尚深い悲しみで一杯であります。
しかしながら、この悲しみを乗り越えて、海老田さんが培ってきた会社の業務を更に繁栄させる事が、海老田さんの恩に報いる事と思い、全力で仕事に取り組まねばと思っています。
海老田英治さん、長い間ありがとうと御座いました。心から哀借の情を捧げ、ご冥福をお祈り申し上げます。
写真・・精米作業をする生前の海老田英治さん
悲しさを乗り越えて(2001.11.12)
えびちゃん(故海老田英治さん)が逝ってしまってから10日がたった。この1週間、えびちゃんの担当していたお客様へ、お礼や配達御用聞きに伺ったが、皆、えびちゃんの人柄を絶賛すると同時に、若すぎる死を悼んで共に涙を流す事でした。商売人としても立派に成長してくれていて、私の知らない所での色々な取り組みや努力をしていた事を知ってあらためて感謝の気持ちでいっぱいです。中でも、食堂など業務店への納品時には掃除を手伝ったり、納品以外の日でも店に立ち寄り、倉庫にある米を米びつに入れ替えたりと、いやな顔一つせず、にこにことして、当たり前のようにしていたそうです。そんなえびちゃんを、お得意先の店主様初め従事しているパートさんに至るまで皆、絶賛し感謝されていました。私も、えびちゃんには人として、米屋としての在り方生き方を教えてきましたが、今は逆に教えられました。この不況下にあっても商売の基本を忠実に実践して行く事が最も大切である事を教えてくれています。あと20日あまりで師走となり、えびちゃんの居ない分一段と忙しくなりますが、どんなに忙しい業務に在っても、手を抜くことなく誠心誠意お客様に喜んでもらえる仕事を心がけるように頑張りたいと思います。えびちゃんの死後、深い悲しみと、生きる気力さへ萎えていましたが、彼自身が実践してきた生き方を知る度に、勇気付けられ励まされ、そして多くの方にも温かく応援していただく毎に、更にやらなければという使命感を覚えています。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
写真・・生前の海老田英治さん(左)
新しい出発(2001.11.19)
人生には思いも寄らないことがあり、悲しみに暮れ、失意のどん底に叩き落され、辛い経験を余儀なくされる。今回の愛する社員の急逝は、嘗て経験した事の無い程辛くて悲しい事です。
彼は高校生の時からアルバイトで私のもとで働いてくれており、独身時代は年末ともなれば必ず泊り込んで私を助けてくれました。そして、私が初めてした仲人は彼の結婚でした。以来20年間、彼との関係は、社員と言うより、兄弟、親子のような大切なものでありました。
そんな大切な人を亡くした悲しみはいつまでも消えません。しかし、多くの方々からガンバレと励まされ勇気付けられ、徐々にではありますが頑張らなくてはと懸命に歩き始めています。なおさら彼の仕事振りを多くのお客様から聞くたびに、彼からの無言の叱咤激励を感じ、我が意を強く奮い立たせています。
何時までもめそめそしては居られません。彼のためにも更に強く人生を歩ばねばと思っています。「川西勝久のひとりごと」も今までどおり、私のボヤキも復活させ元気いっぱい頑張る所存です。読者の皆様にはどうぞよろしく、温かいご支援の程心よりお願い申し上げます。
写真・・福島県阿武隈高地の紅葉(川西勝久写)
会津藩精米所を訪ねて(2001.11.26)
飯盛山の紅葉を事務所よりながめ秋の深まりを一段と感じます。週末には早や師走に突入するのですが、日本の経済状況は依然としてどん底状態である。アメリカ同時中枢テロ発生以来、海外旅行者の激減、国内2頭目の狂牛病感染牛の発生による消費不安や不信の増加などが低迷する日本経済を更に悪化させている。何とか年末商戦を活気付けて新しい年を迎えなければならない。
さて、先月下旬陸奥会津福島方面へ行って来ました。目的は美味しいお米を探し求めてであります。目的地であります福島県須賀川市の「JAすかがわ岩瀬」さんのご案内で、管内の米生産状況を見聞いたしました。この地方の米作りは次回にご紹介致しますが、視察の合間を利用して、会津武家屋敷を見学しました。屋敷は会津藩家老西郷頼母近悳(さいごうたのもちかのり)邸を復元されたもので、敷地の総面積が7千坪の広大なものであります。その中に藩の精米所が残されていて、商売柄興味深く見学しました。16個の石臼にそそがれた米は水力(水車)によって精米され、1日に16表(960kg)の米が精米でき、東北一の精米所だったそうです。この地方の美味しい米を、水車によってやさしく搗かれた米は最高の旨みを出した事でしょう。
写真・・会津藩精米所内部(川西勝久写)
新宮さまのご誕生を心からお慶び申し上げます。(2001.12.3)
12月1日皇太子妃殿下雅子さまが無事出産を終えられ国民待望の新宮さまがご誕生なされました事はこの上ない大きな慶びであります。衷心よりお祝い申し上げます。
当日テレビのニュースで内親王さまのご誕生と、御母子ともご健康であらせられる事を聞き本当に良かったと嬉しくなり、早速国旗を掲揚して祝意を表しました。こんなに嬉しい事は在りません。内親王さまの健やかなご成長とご皇室の益々のご繁栄を心から念じ上げます。
JAすかがわ岩瀬のお米(2001.12.06)
前回は会津藩武家屋敷内の精米所をご紹介しましたが、今回は、ここ会津福島の米作りをご紹介したいと思います。現在私の所へは福島県須賀川産のおいしいコシヒカリが沢山届いていますが、これは先般訪問した「JAすかがわ岩瀬」管内で生産された最高のお米です。
岩瀬地方は福島県の中南部に位置して、須賀川市と岩瀬郡長沼町、鏡石町、岩瀬村、天栄村の1市2町2村からなり、平坦地の標高は230〜270m。気象は5〜10月の平均気温が19.9度、年間の平均気温は12.6度で、夏期は比較的高温です。梅雨をはさんだ7月〜8月は高温多雨で、米や野菜作りには最適の環境と言えます。特に病害虫の発生がほとんど無いため、農薬の散布も必要ありません。非常に自然環境に恵まれた最高の米産地であります。
ここで生産された米は、福島県の中通米として流通され、全国的にも評判の高いものです。現在は「すかがわ岩瀬米」というブランドを確立するため、更に減農薬減科学肥料栽培を徹底し、「安全安心」で「うまい米、旨みのある米」づくりに生産技術の徹底を管内上げて取り組んでいます。当方もこの美味しいお米を原料米にした「みちのく岩瀬米」をオリジナルブランドとして新発売しています。
最近日本の食事事情は米離れの傾向にありますが、本当に美味しいお米で家族揃って食事をして欲しいなっと念願しています。沢山ご飯を食べる分だけ、その分幸せが在ると思います。米食を推進してもらうためにも、美味しい米どころを探し続けたいと思っています。今回は福島県須賀川岩瀬をご紹介しました。
写真・・収穫を終えた磐梯山裾野の田圃風景(川西勝久2001.10.21写)
内親王さまの命名の儀を祝して(2001.12.10)
12月1日にご誕生なされました内親王さまにお名前が名付けられました。
お名前は「愛子(あいこ)」、称号は「敬宮(としのみや)」。発表されて最初に感じた事は親しみやすく温かいお名前だと嬉しくなりました。愛子さんという名前の人はきっとたくさんあることでしょうし、庶民的で明るい健康的な女性を連想します。愛と敬という漢字からも、温かさを感じます。「敬愛」、辞書で引くと、うやまい親しみの気持ちとあります。同じく「愛敬」は愛しうやまう事と書いてあり、現代の日本人が忘れかけている、人を愛する心、敬う心。これをはっと感じました。
ご皇室でのお名前は四書などの教えのからとられる慣わしがあると聞きます。この度の内親王さまのお名前も「孟子」の離婁章句下(りろうしょうくげ)から、「仁者は人を愛し、礼有る者は人を敬す。人を愛する者は人恒に之を愛し、人を敬する者は、人恒に之を敬す」からとられました。今、私は、孟子の書を手にしてその部分を読み、さらに大きな感動に浸っています。「仁コを身につけた人は、人を愛し、礼にかなった人は人を敬う。人を愛する者はいつも人に愛され、人を敬う者はいつも人に敬われる。」今後は敬宮愛子さまの事が報じられるごとに、この大切な精神を、私達日本人は更に大きく育み実践して行こうではありませんか。
敬宮さまには健やかなるご成長を心より念じあげます。
今年を振返り反省を(2001.12.17)
平成13年もあと15日。不景気のためか、師走の雰囲気は今ひとつ感じられない。例年12月ともなれば、初めからクリスマスソングが流れて歳末商戦も意気上がるものだが今年は一向に聞かれない。国道沿いに連立している外食大型店の駐車場もひっそりとして、異常に明るいネオンだけがなぜか寂しい気がする。今年は辛巳(かのとみ)の年。干支の示すとおり、痛みのある辛い一年間でありましたが、それなりに得るものも多い1年でありました。利を求め、物質的豊かさのみを追いつづけてきた近年、周りには物が溢れ無駄が蔓延し、それらを求め、得る為のみに生きてきた人間社会。はっと気が付けば無用のガラクタばかりを追い求めてきたのではないでしょうか。来年は壬午(みずえうま)の年。内にはらんだ物が一気に吹き出て来ると言われます。何を生み出すのか、何を生み出さなくてはならないのかをよく考えて、しっかりと歩みたいものです。今年はこんな事で、じっくりと学ぶ事が出来ませんでした。来年は良い本を多く読み、大いに学んで、もう一度自分自身を作り直してみたいと思います。今年も後15日、全力でガンバリます。
2001年も後1週間。今年も色々ありました。1月、各地の成人式では新成人が大暴れ、、行政が行う成人式のありかたや教育のあり方が問われました。2月、宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が米原潜グリーンビルに追突され沈没。森首相はゴルフ中で対応の甘さから首相の座も風前の灯火。3月、森首相退陣。4月、奇人変人と言われていた小泉さんが自民党総裁選を圧勝。小泉内閣スタート。内閣支持率は90%を超え国民的アイドル首相誕生。聖域なき構造改革の断行を決断。5月、東京高裁の判事が少女にわいせつ行為で逮捕。6月、大阪教育大付属池田小学校児童殺傷事件発生。学校の管理、安全性が問われ、全国各地の学校で校門が閉じられる。7月、参議院選挙、小泉フィバーで自民圧勝。2008年大阪オリンピックは落選。8月、失業率5%を超え、経済の先行き不透明感とあわせ国民の不安感増大。9月、米国、世界貿易センターと国防総省にハイジャックされた民間航空機が突入、米国中枢同時テロ発生。世界を震撼させる。日本では狂牛病に感染した牛が発見。狂牛病パニックに。政府の対応の悪さから、肉業界では深刻な事態に発展。国民こぞって牛肉離れ。マイカルの倒産もあり、景気の回復も見られず、ますます沈滞ムード蔓延。10月、テロ壊滅のためアメリカはアフガニスタンに空爆を開始。米国内では炭素菌による被害続出。11月、企業の倒産等や、狂牛病、テロなどの不安からなる海外旅行の激減により、日本経済は一向に回復のきざし無く、さらに不安増大。年末をを控え深刻な状態に。12月、暗い話題ばかりの多い今年にあって、唯一明るいニュース。皇太子ご夫妻に待望の赤ちゃん誕生。内親王様は敬宮愛子さまと命名され、国民もようやく明るさを取り戻すことが出来ました。・・・と簡単に一年を振り返って見ました。
来年こそは良い年になりますようお祈りして、本年最後のひとりごとを終わります。一年間のご愛読を心から御礼申し上げ、どうぞ来年も宜しくお願い申し上げます。